8/22
 連休前の夜勤の仕事が終わり、昼過ぎに家に帰って仮眠し、夕方から長野に向けて出発した。
 いつものように阪神高速神戸線から名神高速を通って大阪・京都を通過し、夕食と風呂の為、関ヶ原I.C.で国道に下りた。そして簡単に食事を済ませ、そのまま国道21号を東へ向かう。岐阜市街の近くまで来たところで健康ランドを発見し、そこに入った。今日の目標は、「とりあえず長野方面へ行ける所まで行く」なので、健康ランドではゆっくり。幸い、風呂も楽しめるだけの種類があったし、必殺のサウナ/自然乾燥攻撃をしっかり4・5回かましてやった。
 たっぷり2時間ほどを過ごした後、時計を見ると午後9時半ごろ。そろそろ先を急ごうと国道を走り出してみれば、健康ランドに入る前とは交通量が格段に違う。そのままスイスイと国道を走り続けていると、だんだんと道は田舎の方に向かい、建物が少なくなるのに伴って街灯も減っていった。ヘルメットには、スモークの入ってるバイザーが装備されているので、ある程度の明かりが道路にないと辛い。半分勘で走っているようなものだ。山道に入る前に安全な高速に乗ろうと、土岐I.C.から中央道へと入った。時間的に中津川辺りで野宿することになるだろうなと思いながら中央道を走っていると、さすがに山を縫う高速だけあってカーブが多い。この暗い中で車も多いから、下道に比べてそんなに安全でもない。
 中津川に着いたのは夜中の0時ぐらい。野宿に適した所を探すがなかなか見つからず、結局駅前の駐車場で野宿したが、蚊に悩まされてあまり寝れなかった。
走行距離 375.3km

8/23
 野宿した中津川を朝の6時半に出発し、国道19号を北上する。昨日よく眠れなかったので、ちょっと集中力がない感じ。19号沿いの妻籠の宿場町をぶらっと散歩し、妻籠城に後ろ髪を引かれながらも、時間があまりないので先を急ぐ。
 国道19号線沿いにあった小野の滝寝覚の床で短い休憩を入れつつ、昼前に木曽福島に到着。ここは源義仲の子孫だった木曽氏が本拠とした土地で、木曽川にせり出す山に福島城があった。江戸時代は関所が置かれ、中山道の重要なポイントで、今でも関所に関する史跡が多い。この町の郷土館に立ち寄ったが、城があった山の麓にあって、時折吹く風が夏の暑さを紛らわしてくれて心地いい。そう思いながらついついベンチで1時間も昼寝してしまった。寝不足が響いてるらしい。
 木曽福島から更に国道19号線を北上。混雑が続く国道19号を回避して脇道から北上するが、時間的にはあまり変わらなかったようで、結局松本城には入れなかった。でも結構曲がりくねっていた道は、周りの景色もよく、気分良く走れる。
 松本から友人の家がある上田へは約30kmの道のり。近いような感覚を持っていたが、数字にすると結構な距離だ。夏なので日が長いと思っていたら、周りに高い山が多いせいか、日が翳る場所が多く、暗く感じるのは早い。日暮れが近付くと、さすが信州、肌寒い。まだまだ8月と思っていたが、侮れない。
 上田のファミリーレストランで食事を済ませ、友人と待ち合わせたが、冬にスキーに来た時に事故った友人の車が(http://www.tangpingz.comの事件簿No.6参照)、塗装も変わって復活していた。マーチやのに結構金かけるんやなと感心してしまった。
走行距離 171.6km

8/24
 朝、まずは昨日入れなかった松本城へ向かう。国宝四城の内、これで二つ制覇。姫路城が近いだけに、比べてしまうとどうしても松本城の方が建物も少なくて貧相に見えるが、野面積の石垣とその上の黒壁の天守は、独特の存在感がある。本丸にかかる朱塗りの橋を見て、そういえば昔、松本城のプラモデルを作ったような記憶がある事を思い出した。あの頃から比べると、城を見る目も変わったかな。
 すぐ近くの資料館を回った後、松本城を出発して、信玄と謙信の対決で有名な川中島古戦場へ向かう。友人には川中島に行く奴は珍しいって言われたけど、好きなもんはしゃあない。こればっかりは抑えられない。ツーリングの半分はその為に行っているようなものやし。
 川中島には、江戸時代松代城と呼ばれていた海津城がある。川中島の合戦の時には、武田軍2万が駐留したというから、大きな規模の城であるはずだが、川中島藩、松代藩と変遷し、改修が加えられた城には、当時の面影を見出すのは難しいだろう。しかも行った日には、石垣の改修工事でろくに散策もできなかった。
 海津城の近くには、松代藩主だった真田家縁の品々を納めた宝物館などがある。ここに真田家家紋の六文銭が入った巾着が土産で売ってあった。これを見たとたん、どうしても買わずにはいられず、「この商売上手め」と思いながら買ってしまった。もっと周辺の真田家に関連する真田城等の城を回りたかったが、午後5時を過ぎると日が暮れるのが早い。暗くなっては散策どころではないので、友人宅へバイクを走らせた。一応上田城には寄ったが、暗くて櫓や堀切、城門などはしっかりと見て回れなかった。
走行距離 232.5km

8/25
 朝一で友人宅を出発し、平井寺トンネルから中山道に入り、新和田トンネルを利用して諏訪湖へ向かう。諏訪湖は小学校の時の教育テレビでおなじみだ。一度見てみたいという気持ちが強かったけど、峠を越えて初めて見た感想は、「大きいけど水汚いな」だった。実際雨上がりでもないのに湖水は茶色く濁っていた。冬の氷が張った時のイメージが強かったから、勝手に澄んだ湖水を思い浮かべてたが、近くにリゾートホテルなんかもあって車も多く、結構ゴミゴミした感じ。昔から交通の要衝だったから、発展してて当然なんやけどね。
 諏訪湖の周りには、諏訪大社が上下社合わせて4つもある。昔から伝統的に勢力があった神社だけに、過去の権力闘争なんかが沢山あって、今のように分かれたのだろうか。寄ったのは諏訪大社の下社の春宮秋宮だが、その宝物館を覗けば、武田信玄寄贈の刀や鎧を始め、中世から近代にかけての有名無名の宝物がわんさとあり、昔からいろんな人に崇拝されてきた事がすぐに分かる。神社を取り仕切っていた諏訪氏は、中世には在郷領主化し、実際に一族同士で相争っていた。武田信玄は、その間隙を突いて諏訪に侵攻し、信濃攻略の足掛かりとしているが、一族の争いはこの時代だけに限った事ではないらしい。人間権力を持つと恐ろしい。
 その諏訪氏縁の高島城に行きたいと思いながら、時間的な制約で高遠へと急いだ。高遠城は諏訪に続いて武田信玄が攻略した高遠氏の居城だったところで、武田家滅亡の際には、勝頼の弟仁科盛信が織田軍を相手に一歩も譲らない戦いをした。現在は城址に沢山の桜が植えられ、春には素晴らしい眺めになるという。また城には車道と駐車場が完備され、下から徒歩で登る事を考えれば、非常にありがたい。
 高遠城を降りて高遠町郷土館に寄り、西へ進んで伊那から中央道へと入ったが、途中でツーリングのグループが走っていて、何気に最後尾を走ってみた。車に乗っている人からは、まさかソロツーリングには見えまい。
 中央道から東名に入って一宮で下り、全国で唯一民間で城を持っているという犬山城に寄ってみた。犬山城は、眼下を木曽川が洗う丘陵上にあって、織田家縁の城である。現在は江戸末期に領主だった成瀬家の持ち物で、維新後に一度は政府所有となったが、城の修理を条件に払い下げられたという。今でも維持費が大変らしい。
 犬山城を後にして再び名神、中国と走ったが、さすがに一日583kmも走ったら疲れた。P.A.で休憩すると、人目も憚らず道路で横になれるぐらいで、このくらいが限界ラインかなと思ったら、会社の先輩は700km走ったことがあるらしい。上には上がいるもんだ。
走行距離 583.8km
合計 4日間 1363.2km

No.7
No.6 No.8