6/17
 前々から「当直明けでぐっすり寝たら夜中からツーリングに出てもOKちゃうん」という思いがあって、いよいよ実行に移した。鳥取は近いようで行ったことがなく、友人から誘われたこともあるが、その時は都合が悪くて行けなかった。
 当直明けでぐっすりと眠り、夜中にごそごそと起きだして出発した。6月の夜はまだまだ寒いが、思ったほどではない。自宅を出発した勢いのまま走り、山南町にある山南仁王で1回目の休憩をとっていると、すぐ近くの加古川で小さな明かりがふわふわと舞っていた。蛍はとっくに閉店している時間なのに何匹かいるってことは、9時ぐらいはもっといるんやろな。ここまで北に上がるとまだまだ自然が残っているようだ。ちょっと得した気分になった。
 国道175号から9号に入るルート沿いには城が多い。丹波の赤鬼こと赤井直正縁の黒井城や鹿集城、山名四天王の一人だった八木氏の居城八木城等が比較的な有名なところで、無名の小城は幾つもある。この2本の国道は昔から街道だったんで、国道沿いに城があるのは当然だ。こいつらにはまたいつか行かなあかんなと思いながら、暗い夜道で詳しい場所がわからず、地図で大体の場所をあとでチェックした。
 9号線の八鹿に入った辺りで、夜中なのに夕立に遭った。175号線を走っている時から、西の方でピカピカ光ってるなと思っていたが、ついに八鹿で降り出し、雨粒が大きいと感じて近くの適当な建物の下に退避した。その直後からものすごい勢いで雨が降り出して、まさに間一髪でえらいことになるとこだった。
 9号線をひた走り、スキーで何回も来た事のあるハチ高原を通過したが、さすがにその時と景色が全然違う。違和感ともなんとも言い難い感じを抱えつつも更に北へ進むと、今度は景色が薄白くなってきた。先ほどの夕立が霧を誘発したようだ。「白内障になったらこんな視界かな」なんて、祖母が患っただけに考えながらも、現実の視界は危険と隣り合わせの幻想的な風景になっていく。個人的には好きな風景の一つだが、たびたびなったらそれはそれで困る。その辺りは勝手な考えか。
 濃霧が晴れ、夜がそろそろ明ける頃、鳥取県に入った。鳥取砂丘は県のだいぶ東にあるから、もうすぐのはず。9号線から砂丘道路と呼ばれる臨海の道路に入り、しばらく行くと土産物屋と駐車場が見えた。時間は午前5時前。まだ太陽は昇っていない。砂丘に足を踏み入れると朝の涼しい海風が心地よく、壮大な景色は、友人が鳥取砂漠って言いたくなると言っていた事を思い出す。確かにその気持ちはわかる。が、近年は緑化が深刻になっているらしい。海から遠ざかったところには雑草も生えている。大陸では砂漠化が問題になっていたり、地球は複雑らしい。
 日が雲の隙間から昇るのを見、砂丘をブラブラ散歩するが、ただ一面の砂だまりではすることが限られる。暇だけにフィルム1本分使ってしまったが、それ以上することも無く、バイクを鳥取市街へ向けた。
 9号線に再び合流すると、朝のラッシュが始まりかけており、意外と交通量が多い。そのまま9号線で市街地を西へ抜け、白兎海岸で一旦休憩を入れつつ、地図上に見つけた鹿野城を目指す。途中朝食を適当に済ませた後、雨がぱらつき出したが、予報では一時的なものらしく、カッパを着込んで城を目指した。鹿野城に着くと、城の入口に休憩所があったので、とりあえず濡れたものを乾かすべく休憩した。ぼーっとしていると、朝早く出発した疲れが出たのか、眠くなってきた。まぁ雨も降ってることやし、小一時間ほど寝るかと思い、うとうとして次の瞬間気付くと、時計は午後2時前になっていた。4時間ほども眠っていたらしい。しかもあちこち蚊にかまれて痒い。でも天気は回復したようだ。とりあえずぶらっと鹿野市街を回って昼食を漁る。市街と言っても何もないが、なんとか昼飯にはありつくことができた。
 この鹿野には、あの山中鹿之助の墓があるという。地図にも記されているが、あちこち道路工事をしていて道路が変わりつつあるらしく、ぐるぐると市街地をまわったが発見できなかった。なので、とりあえず鹿野の城に戻って少しだけ散策し、麓の公衆電話で今夜の宿を探す。幸い浦富海岸の旅館に予約が取れたので、再びバイクを鳥取市街に向けた。
 鳥取市内で行く所と言えば、籠城戦のあった鳥取城か、早朝に行った鳥取砂丘が有名なところ。やはり城フリークとしては、歴史上有名な戦いがあった鳥取城は押さえておきたいところなので、雨上がりの道を鳥取城に向けて走った。
 鳥取城は、戦国時代には山名氏の城で、山名氏による同族同士の争いの中で築城されたという。戦国末期の、秀吉による因幡攻略戦での鳥取城攻めは、秀吉自身が渇え殺しというほど凄惨な籠城戦となったのだが、その城は麓に残っている城ではなく、後背の久松山頂から尾根伝いに築いていたものだった。ちなみに麓の城は慶長年間に築城されたもので、安土桃山から江戸時代初期の優美な城郭だったらしい。今では建物が何も残っていないので分からないが、高く積まれた石垣からは戦国時代からの技術の集積を感じる。
 せっかく鳥取城に来たのだからと、山上ノ丸のある久松山頂まで登ってみた。秀吉による攻略戦当時はこの山頂が主郭で、ここにはたくさんの兵士が詰め、遠く見える太閤ヶ原には秀吉軍が陣取っていたはず。今では木々が生えて薄暗いが、当時はこの頂上の平坦地に櫓が建ち、周囲を見渡せるようになっていたんだろう。
 鳥取城に行ってしまうと、鳥取市内では他に行こうと思う場所がない。どこに行こうかと地図を眺めてみると、砂丘の近くに鳥取縣護国神社があるのを見つけた。とりあえず護国神社があったら、寄っておみくじをひかないと気が済まないので、ぶらっと寄ることにした。おみくじは大吉だったが、それよりも、砂丘に割と近いのに、こっちにはほとんど人が来ないことがなんだか新鮮だった。全体的に砂っぽい印象はあるが、砂丘とは違ってあまり観光地化されていないところが妙にいい。人ごみが嫌いな自分には合っている。
 これも地図で見つけたが、砂丘から9号線に向かう道の近くに吉川経家の墓があるらしい。秀吉による鳥取城の兵糧攻めで、もともと自分の城ではないのに、毛利から派遣されて戦い、そして城兵の命と引き換えに切腹した武将だ。墓はかなり分かりにくいところにあったが、小さな杜もあってひっそりとしていた。今は訪れる人も疎らなんだろう。
 墓参りをしている間に、いよいよ日も沈んだ。今夜の宿へと急ぐ。
走行距離 299.7km

6/18
 この日は前日と打って変わって晴れとなった。
 朝8時半ごろに旅館を出発し、砂丘近くの喫茶店でモーニングをかき込み、昨日、宿へ行く途中にちらっと見えた源頼朝の愛馬生月誕生の地という碑の場所を訪れた。ツーリングではちらっと見えた場所に意外な史跡なんかが結構あって驚くことも多いが、ここは碑だけの場所らしい。まあ、何かの施設があったわけじゃなく馬の産まれた場所やから、せいぜいあったとしても牧場程度のものやろし、残ってなくて当たり前か。
 生月誕生地は国道178号線沿いにあるが、国道9号線との合流点のすぐ近くで、そのまま朝のラッシュで混む国道9号線を通って、再び鳥取城を訪れた。鳥取城のかつての城域には、鳥取県立博物館や、明治天皇が行幸した際に建てられた仁風閣がある。まだ朝で時間がたっぷりとあるのでそれらに寄ってみることにした。
 鳥取県立博物館は、鳥取県の風土や地層、植生や生息する動物等の自然科学的な事から、歴史や文化、地域の祭りに至るまでの人文学的なものまでたくさん収蔵してあり、とても見ごたえがあった。資料館なんかではどこでもやってしまうのだが、説明文という説明文を全て読んでしまうので、結局2時間以上も博物館で過ごしてしまったのだが、疲れたという感じはなく、「全部見たった!」という充実感があった。展示が整理されて見やすかったというのもあるんやろう。まぁ、とにかく満足した。
 博物館を出て、そのまますぐ近くの仁風閣に寄ったが、鳥取観光に来ていたと思われるジジババ集団がちょうど入るところだった。平日でゆっくりできると思ったのにどうもせわしない。仁風閣は西洋建築の外観で中には和の技術も取り入れられている建物で、戦前の独特の雰囲気を持った良い建物だったが、落ち着いて見学することができなかった。どうもツアー客というのには馴染めない。
 鳥取城を出たのはまだ午前中だったが、市街地から国道29号線でそろそろ帰ることにした。29号線は通行量も少なく、山を縫っていくのでコーナーもそこそこある良いワインディングロードだ。
 この29号線の途中、鳥取と兵庫の県境に若桜町というのがある。ここは江戸時代に街道宿場町として栄え、戦国時代には鬼ヶ城という城があって、ゲームにも登場するわりと有名な城で、尼子氏再興に奔走する山中鹿之助ゆかりの城でもある。どんな城か行ってみたかったので、帰り道に寄る事にした。
 若桜町に入って最初に歴史民俗資料館という表示を見つけたので、まずはそこから行ってみることにした。この若桜町の民俗資料館は、甲冑などが展示してある本館とは別に、古い農家の建物を資料館として転用した建物もあって、正に民俗資料と呼べる少し昔の農機具や生活用品が展示されていた。期待していたようなたくさんの展示ではなかったが、掃除していたおじいさんと一言二言挨拶をかわし、とてものんびりとした気持ちになった。将来ジジイになったら、何にもないけどこんなところに住みたいと正直思えるような良いところだった。
 鬼ヶ城は山城なので、民俗資料館を出発してから駅前で適当に腹ごしらえをし、気合を入れなおして城に向かった。城へは市街をぐるっと迂回するような感じで舗装された登山道が通じていて、バイクで淡々と登っていくと城の入口に着いてしまった。腹ごしらえをして気合を入れ直したのに、意外とあっさり着いてしまって拍子抜けしたが、別に楽に着く事に文句はないので、早速城を探索した。城には、時期が悪いのか草が繁っていて、遊歩道はあるもののちょっと歩きにくい感じがする。元和の一国一城令で廃城になるまで存在していたので、近世的な石垣や城郭構造を持っているが、なんとなく判然としない。これも繁茂した草のせいだろうか。唯一、城から眼下にある若桜街道の眺めがとてもよく、爽快な気分になった。
 若桜からは戸倉峠を越えて兵庫県に入る。戸倉峠付近のスキー場には何度も来てるので、この時期の道路はどんな感じか、風景はどんな感じになってるのか楽しみだったが、峠に差し掛かるころ、突然黒い雲が空を覆い、突風が吹き始めた。おいおいまた夕立かと思いながら前進していると、タイトなコーナーが続く部分で横風とその吹き返しを受けて、危うくコケそうになった。夕立よりひどい状況になんとかならずに峠を越え、中国道山崎I.C.近くの道の駅まで辿り着き、一度休憩した。ここからは県道23号線で中国道沿いに走り、あとはお馴染みの道なので、ここまでくれば帰ってきた感じがする。今回のツーリングも終わりに近付いたが、鳥取はまた行かんとあかんね。車が少なくていいし、行ってないとこもたくさんあるし。
走行距離 209.2km
合計 2日間 508.9km

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