5/11
 今回は、2日の休みで滋賀と岐阜を通って郡上を回り、行き残しの多い福井大野を巡るのが目標。前回の岡山に引き続き、仕事終わりの金曜に出撃して滋賀まで進み、2日目は滋賀と岐阜を回って福井に入って宿泊。そして3日目に進めるところまで進んで北陸道から帰還の予定。目標としては、工事中で立ち入り禁止やった山崎山城と、北城に行ってない横山城、探し当てられなかった伏屋城、東氏の篠脇城、遺構が無いのでスルーした勝山城と、麓まで行きながら雨が今にも降りそうで断念した村岡山城、そして写真の無い丸岡城。言ってみりゃ、残した宿題を片付ける旅と言えるかもしれんね。心配は冬型の気圧配置なこと。北へ行くのに寒くなるし、風が強いと無意識に気を使うから妙に疲れてしまう。まぁ日程が決まってるから天気はどうしようもないけどね。
 仕事を終え、午後7時過ぎに出発の予定が、なんたかんだと8時前に。時間が押すのはいつものことか。今年から阪神高速が全線900円になったし、北神戸線経由で900円分一杯使って東大阪へ。しかし最低料金を300円ぐらいにしてもらわんと、どう乗っても高くなるし、実質値上げって嫌な仕事しやがるぜ。
 東大阪線まで走って荒本で降り、中央環状経由で第二京阪へ、と思っていたが、荒本で南方向に降ろされ、流れに乗って交差点を曲がって北へ方向を向けてる間に現在地が不明に。こういう時はスマホの地図が助かるねぇ。GPSで現在地も正確やし。ツーリングマップルは広域地図だけに、市街地のランドマークも載ってないから、こういう時は頼りにならん。結局、住道駅の横を通る府道で北上したけど、金曜の夜というのもあってか流れがなかなか遅い。もうこんな時間やのに。さすが大阪、だから大阪をバイクで走るんは嫌いやねん。
 第二京阪へは寝屋川北I.C.から入ったけど、この道は街灯が少ない。なんか真っ暗な印象やね。交通量が少ないし広くて走り易いんやけど、ただひたすらヘッドライトを追ってて新しいのか古いのかよく分からん感じやった。そのまま京滋パイパスに入ったけど、こっちはコーナー多くて山へ向かう部分も多いから気温もよく下がるみたい。名神でも京都東から大津の間はそんな感じやから変わらんけど。まぁ両方初走行を果たしたから、とりあえず満足やわ。
 京滋バイパスを終点まで走ってそのまま瀬田東で降り、瀬田駅前のホテルに着いたのは午後10時40過ぎ。予定よりも1時間近く遅かった。大阪で予想以上に時間が取られたなぁ。とりあえずホテル前にバイクを止めてチェックインしたけど、隣が飲み屋さんってのが気に掛かる。どうか朝までバイクが無事でありますように。
走行距離 129.60km

5/12
 朝、6時半の朝食開始の時間に合わせて食堂へ。朝食バイキング付きで3400円とは、かなりサービス価格やね。素泊まり5000円で安いとか思ってた頃に比べて、時代は変わったもんや。
 瀬田の駅の近くには国道1号線が走ってて、とりあえずその国道1号線で東へと走る。草津でバイパスと合流するが、そこで右に折れて新幹線の高架橋をくぐると志津小学校というのがあり、その辺りに青地城という城があるはず。今回の目標ではないので、簡単に行けそうならと思って寄ってみたが、小学校前の池のところに短い説明があり、小学校の敷地や裏山が城地らしい。小学校の中はさすがに気が引けるので、裏手に回って散策してみると、小郭の跡や土塁、大きな堀切などが残っており、なかなか良かった。期待してなかっただけに、なんか得した気分。
 草津にせっかく足を止めたなら、教科書にも載ってる天井川の草津川を見とくかと、寄り道から寄り道へ。地図を見るとJR草津駅の南西側から川の土手でJRを越えれるらしいので、国道1号線を少し走ってから草津駅前へ行き、込み入った道を進んで土手へと出る。すると土手はあるのだが、水が無かった。どうやら、草津川は改修で流路が変えられ、今は天井川ではないらしい。でも土手は天井川の名残として残し、市民に馴染みの深い憩いの場としてそのままにしているとのこと。この土手から同時に川底だった面と草津市街を見ると、妙に遠近感が合わなくて天井川らしさを実感したが、天井川の名残として土手を残しているのは時代なんかもしれへんね。高度成長時代なら間違いなく道になってたやろう。教科書に載るほど有名やったわけやから、市民にも思い入れはあるやろし、いい選択や。でも俺みたいに天井川でなくなってるのを知らん人もいっぱいいるんやろね。
 草津からは、田んぼの中を真っ直ぐに抜けている県道やら市道やらを辿って山崎山城へ向かう。この田園風景と真っ直ぐな道が湖南から湖東にかけての風景で、この中を走るのは本当に気持ちいい。これぞ滋賀って感じや。
 1時間ほど走り、山崎山に着いて、何とは無しに集落をぐるっと回ってみると、山へと向かう綺麗な舗装路に出た。チェーンが掛かっていたのでバイクを置いて徒歩で登ってみたが、水道施設に出ただけで、ここから城跡へは行けないらしい。1度山を下りて反対側に回ってみると、駐車場も整備された城跡への登山口があった。山崎山城は、山頂に石垣の基部や竪堀跡、櫓跡などがあるが、芝生が敷かれてなんだかのっぺりとした公園になっていた。破城を受けたのであんまり明確に遺構は残ってないからしょうがないっちゃしょうがないんやけど、城跡という感じが少ないのは少し残念。
 山崎山から下りて時計を見ると11時過ぎ。予定では横山城を12時頃に下りて午後から岐阜を回るぐらいを考えてたが、ちょっと調子に乗って寄り道し過ぎたか。ここで登る道を間違えた分のロスもちょっと痛い。
 山崎山からは、滋賀県立大の所から湖岸道路に出て彦根城の城壁を見ながら長浜へと走り、長浜城のすぐ横から長浜駅をくぐって横山城へ。長浜市街で牛丼を掻き込み、日吉神社から城へと登っていく。前回登った石田山公園からの道とは違って勾配は比較的ゆるいし、堀切や郭なんかの遺構もたくさんあって、こちらが大手やったんやろう。北城に登ると、石田山公園方向の道は工事で通れなくなってるとのこと。南城も見ると距離的にはそっちが近いし、険しくても下りやから関係ないわと思ってたら、同じ道を帰らなあかんとは。ちょっと時間を余分に使ってるなぁ。
 横山城からは、北国脇往還の国道365号線で岐阜に入ろうと思ってたが、時間も押してるので長浜I.C.から北陸道と名神高速を使って大垣へ。ランプが点いたから大垣で給油したけど、ハイオクが異様に安かった。おっちゃんひとりだけの店で、他店には絶対負けないみたいな服を着てて、なんか独特なGSやったな。偽物ハイオクじゃないことを祈る。
 次は、国道258号線から国道21号線へ入り、国道すぐ横の加賀野城へ向かう。加賀野城は、遺構と言えるものは八幡神社の周りの堀跡ぐらいのもので、今は湧水で有名らしい。行った時は止まっている車が無くて、顔を洗ったり喉を潤したりと泉を独占できたが、帰る段になって次々と車が乗り付けられて、ポリ容器片手に、いや両手に、みんな水を汲みに来てた。ほんま有名なんやね。
 加賀野城から国道21号線を東へ進み、ちょっと北回りで迂回して長良川と金華山を眺め、流れに任せてノープランで走っていく。全体的に流れは良くないが、たまにはこういう走り方もいいもんだ。そう思っていたら、なぜか金華橋の表示が。あれ、なぜか岐阜城に向かってるみたいや。危うく金華山トンネルに吸い込まれそうになるところを、ここだけは時間が取られるから避けとこうと思っていたはずの岐阜市街を南下して伏屋城へ向かう。すると加納町の表示が出てきた。近くに加納城があるな。ということは革手城もあるのか。じゃあ寄っていこう。ということで急遽革手城へ。
 今の革手城跡は済美高校の敷地として使われていて、遺構などは残っておらず、碑があるのみらしい。だが、その碑の位置が分からず、高校の周りを2周ぐらいしてしまった。どうしても見当たらないので、校舎の間に通っている道を行くと、そこに小さな公園があり、公園内に碑と説明板があった。どうやらこの道は高校内の道ではなく、普通に通れる道らしい。校舎内に碑があるのなら、おっさんがズカズカと入っていくわけにもいかないし、諦めるところやった。幸い、土曜ということで高校生はほとんどおらず、ソフトボール部の部活をしているぐらいで、変な目で見られることもなかった。気にし過ぎと言えば気にし過ぎかもしれんが、最近は普段見かけない人がいるとすぐマークされて不審者情報メールで一斉送信とかされるから、なかなか困ったもんだ。
 革手城から伏屋城までは直線距離にして3kmほど。バイパス化されてる国道21号線を使えばすぐに着く。ここは昔、地図の城跡マークのプロットだけを頼りに来て、白山神社で一夜城の看板だけを見て帰った城。今回は空振りしないように、入念な下調べで遺構の位置をしっかり頭に入れて来た。それでも、ランドマークが無くて曲がる角が分からず、一度通り過ぎてからようやく辿り着くことができた。遺構自体は土塁跡が少しあるだけやけど、ちゃんと自分の目で確認できたことに満足感があった。
 伏屋の次は、岐阜各務原I.C.から東海北陸道で一路郡上へ。本当は東殿山城へ行きたかったが、滑落の危険がある城らしいので、郡上八幡観光と共にじっくり時間を掛けられる時に登るとして、今回は郡上八幡城から東殿山を見ることにした。郡上八幡I.C.で下りて城へ向かったが、11年振りでなんだか懐かしい。あの頃よりも道なんかがすっきりした印象があるが、実際はどうなんやろう。城へ向かう道も、同じバイクで来たはずなんやけど、こんなに急なコーナーばっかりやったっけという感じ。城に着いたのはちょうど5時ぐらいで、もう中には入れなかったけど、外観はちゃんと拝めて写真も撮れたし、東殿山も眺められたから満足。
 自分の車のキーホルダーは、郡上八幡で買った食品サンプルのソーセージのキーホルダーやけど、もうハゲハゲになってるので新しいのが欲しいと、それを買った郡上八幡博覧館の所のお土産屋さんに行ってみたら、もう閉店とのこと。資料館の下やから5時過ぎたら無理っぽいのはなんとなく分かってたけど、残念やわ。もうしばらくハゲハゲので頑張るか。
 郡上八幡からは、南北を貫く国道156号線で北上していくが、時間があれば寄ろうと思っていた木越城は詳しい案内表示も無かったので断念し、篠脇城へ。麓のフィールドミュージアムのところで既に暗くなり始めてたけど、そう来れない場所なので勢いで登っていく。篠脇城自体は中世的な城で規模も大きくないが、主郭を取り囲むように竪堀が穿たれてるのが特徴で、これほど連続する竪堀は見たことがない。つづら折の登山道が結構しんどかったけど、登って良かった。
 篠脇城を出た頃にはもう薄暮の時間。ここから九頭竜経由で越前大野までまだまだあるけど、大野に宿を予約してあるから這ってでも行かなあかん。とは言いつつ、油坂峠は味わいたいので、時間が押しているというのに油坂峠道路は使わず国道158号線の峠道へ特攻した。15年ぐらい前に九頭竜のスキー場に行った時は、この峠入口の辺でチェーンを着けて登って行ったな。懐かしい。しかし、バイパスがあるせいか、前後に車が無いどころか、対向車すら通らない。この峠道はいいね。これで暗くなかったらもっと思う存分遊べるのに。
 油坂峠を抜けると、すぐに九頭竜湖が見えてくる。ここも明るかったら景色を味わいながら走れる道なんやろな。ちょっと昼間に寄り道し過ぎたわ。九頭竜湖の辺りは冬は雪が積もるだけに、道路には気温の表示がいくつもある。ここに表示される温度は7℃。いやいや、冬かいな。青森で9月やのに最高気温14℃とか低温注意報発令とかでびっくりしてたんが可愛いわ。冬にツーリングに行った事もないのに、まさか5月に冬ツーリングを体験できるとは。
 九頭竜湖から先は九頭竜川に沿っての道で、そこそこワインディングが楽しめそうな道。でも前にトラックがいてペースも遅く、ゆっくり下っていった。まぁスモークのバイザーで先のほうはあんまり見えんから、トラックがいなくても攻めるのは無理なんやけどね。こうして大野に着いたのは結局8時半前。大野市街を回っても飯を食えるところが見当たらなかったので、駅前のラーメン屋でラーメンを掻き込んで旅館へ向かった。6時ぐらいの到着予定やったのに9時過ぎてるって遅れ過ぎやろ。
 大野の旅館は1泊素泊まりで5000円。確かにいい旅館やったけど、地方都市は競争が少ないからデフレの洗礼は浴びてないみたいやね。前日の朝食付き3400円と比べるとさすがに割高感がある。しかも、疲れてるやろうから足を伸ばして風呂に入る為にホテルじゃなく旅館を取ったのに、大浴場は空く気配がないからと通された小浴場は、普通の家庭の風呂サイズやった。そんなオチが付きつつも、やっぱり畳の部屋は落ち着くね。こういう時に日本人やと感じるわ。
走行距離 324.80km

5/13
 この日は、朝6時過ぎに起床して、まず徒歩で行ける亥山城へ。ここは今は日吉神社の境内となっていて、遺構は堀以外ほとんどない。山王公園との境目には古そうな石垣があったけど、往時のものかは分からなかった。この日は氏子と思われる方々が朝早くから境内を掃除していたけど、何か行事があるんかな。
 次は朝飯調達を兼ねて七間朝市へ。この朝市は戦国時代から続いていて、雪のない季節はずっとやってるらしい。日曜だけ開催とかが朝市には多いのに、地域に根ざした市なんやね。一応7時からとなっていたが、6時50分頃に行くと多くの店はもう開いていて、朝飯の餅とお土産を買った。
 旅館に帰って朝飯を食べ、仕度を整えて8時に出発し、大野城を横目に見ながら戌山城へと向かう。先ほどの亥山城とこの戌山城は一体的に運用されていたようで、両方とも大野郡代朝倉義鏡が在城したと伝えられ、恐らく平時には亥山城を居館として、戦時には戌山城を詰城としたんやろう。国道476号線沿いの登山口に行ってみると、ほぼ麓からの登山で、しっかりと登る城やった。城自体はなかなか規模もあってさすが郡代の城という感じ。ロープを使って登る堀切なんかもあり、遺構がよく残ってて、登る労力に値する城やね。
 戌山城の次は勝山城へ。勝山城は、以前に大野へ来た時、勝山城博物館で市役所近辺にあるということを知ったが、遺構が全く残っていないとのことなのでスルーした城。今回は前回と違って天気もいいし、時間もある。大野市街から国道157号線に入ってズドーンと真っ直ぐ抜けてる県道17号線に入り、勝山市役所へ行く。この道はなんか覚えがある道やな。前の時に通ったんやろな。
 県道から市役所の方向へ左折し、たまたま駐車場の近くに立っていたおまわりさんに、勝山城の碑はどこですか?と聞いたら、そんな話は聞いたことがないとのこと。遺構が無ければ市民の認知度もそりゃ低かろう。とりあえず市役所の駐輪場にバイクを止めて歩いてみると、探すまでもなく市民会館の所に城址碑があった。掃除していたおじいさんの立ち話を聞くと、昔は天守台があって大雪の日とかはそりで滑っていたらしい。せめて天守台だけでものこってればもう少し認知度もあったろうに。バイクの所に帰ろうとすると、先ほどのおまわりのさんが来て、城址碑の場所が分かったと言ってくれたけど、もうすでに見付けたよ。でも親切に周りの人に聞いてくれたんやね。ありがとう。
 勝山市役所を出て、今度は1kmほど北の村岡小学校の裏側へ。ここは11年前、城の登山道まで来たが不穏な天候で登らなかった城や。1度来たことがあるだけに村岡神社のところまでは迷うことも無く到着し、神社の脇から村岡山城へと登っていく。だが、この登山道はなかなかキツい。昨日とは打って変わって春の陽光が強く、汗が噴き出す。そうこうしている内になんとか城へ到着した。しかし、頂上に日陰が少なく、休憩できるような所も日なたになってる。5月やからこの程度の汗と5分の休憩で済んだけど、夏に登ったら地獄を見るかもしれんな。
 村岡山城は朝倉系と織田系の築城術が混ざっており、本丸やその周辺は敦賀の玄蕃尾城によく似た感じで、柴田氏による改修がありありと実感できる。一方で、尾根筋の段郭が連なるところはシンプルな中世的城郭の趣であり、反対側には幾筋もの竪堀があって、これは朝倉系の雰囲気がある。なかなか興味深い城やね。本丸から大日山系の山が見えたけど、5月のやや暑い陽光の中で見る残雪はなかなかの感動やった。
 村岡山城からはそのまま国道157号線に入り、白山と大日山の間を抜けて石川県へ。この道は2車線の登り道が続く快走路で気持ちよかった。途中、ドゥカティのバイクが前に来たが、信号からの発進でエンストしてた。その後、めっちゃ首をかしげながら走ってたけど、気持ちは解るで。普段はせえへんねんで、普段はせえへんねんけど今日は調子悪いなぁ、って意思表示やね。イタ車はやっぱデリケートってイメージあるもんな。まるでツレのように後ろにくっついて峠を走ってたけど、気にしてないから。
 思わずバイクを道端に止めて写真を撮ってしまうほど美しかった白山山系の残雪を眺めながら道を下り、国道360号線に入って道の駅一向一揆の里に行く。この近くには二曲城鳥越城の2城がある。でも城は後にして、時間も時間やしご飯を食べようと思ったら、道の駅のそば屋は満員。待ちで時間が潰れるのももったいないので、先に鳥越一向一揆歴史館に寄って予備知識を頭に入れ、そばを掻き込んでまずは二曲城へ。この城は中世的で、標高も高くなく、ちょっとしたハイキングコースという感じ。本丸は発掘調査を元に整備されていて、往時の姿が想像しやすかった。
 二曲城から、今度は大日川を挟んで反対側の山にある鳥越城へ向かうが、鳥越城は城の入口まで車道が整備されてて楽に登れるのでありがたい。城内には、櫓門を始めとする幾つかの城門と建物が復元され、礎石の位置なども示されており、こちらもかなり解り易いように整備されていた。絵を描いている人がいたり、おばちゃん2人で登ってきたりしてて、意外と一般の人も訪れる城跡らしい。草を掻き分けて進むようなマイナーな城なら無理やけど、これだけ綺麗に整備されてれば知識のない人でも訪れやすいよな。
 鳥越からは、大日川沿いの県道44号線、手取川沿いの国道157号線で北上していく。目標は松任駅。駅前に松任城がある。国道157号線から松任市街へ真っ直ぐ伸びた県道に入ろうとしたが、案内を確認できないまま過ぎてしまい、スマホの地図を頼りに適当に左折して松任駅を目指していく。いや、ほんまスマホって便利。バイクにナビを付けるんはちょっと大きすぎて不細工やし、このサイズが邪魔にならんでええわ。ツーリングマップルは大まかに掴むのに優れてるけど、土地勘無い所で迷うと現在位置を把握しにくいからね。GPS最強。
 渋滞している国道8号線との交差点を越えて右折し、松任城に到着すると、城跡というよりは駅前広場という感じ。地図で見る限りはちょっとこんもりしているようなイメージを持ってたが、全くの平地で、角の辺りがちょっと盛り上がってる程度やった。しかも、なだらか過ぎて元の地形がどうやったんか全く分からん。ここは櫓跡なんかね。ま、とりあえずは松任城には来れたということで。
 金沢近くまで行きたかったが、時間も時間なんで松任から北陸道に入り、一気に石川県を離脱して福井県へ戻る。目指すは丸岡城。写真が無いので写真を撮っておきたいだけなんやけどね。
 石川県内の北陸道はほとんど海岸線を走って、海が見えると午後の陽光が海に反射してかなりいい景色。山側に目を向ければ大日山系や奈良岳系の山々に残雪が残り、これにまた感嘆。バイクじゃなかったら写真撮ってるとこやわ。でも、これだけ海に近いと冬は季節風が強くて大変やろね。
 石川県の端が近くなると、北陸道は山方向へと向きを変え、急にコーナーが増えてくる。そしてこの山の部分を越えればもう福井県の中心部になる。目指す丸岡城は丸岡I.C.の近く。高速を降りて北へ向かえばすぐに到着。でも時間が時間だけに夕日が写真に入り、なかなかうまく天守閣を撮れなかった。入城せずに撮るのはちょっと強引やったかな。
 続いて今度は北ノ庄城へ。北陸のメインストリートの国道8号線で福井の中心部に向かったが、この道はやっぱり交通量が多くて流れが遅い。夕方で人が動く時間になってるから余計やけど、さすがに県庁所在地というところか。なんとか市街地を突っ切って北ノ庄城に着いたのは、もう5時になる前やった。でも北の庄城址資料館は6時まで開館してるみたい。並みの資料館と違ってビジターセンター的役割があるからやろね。これから日が長くなると、遅くても散策できるから、6時まで開いてるのは観光客にとってはありがたい。
 北ノ庄城は、その上から福井城が築かれたので、今となっては縄張さえ想像図になるほど痕跡が無くなってるが、最近の発掘調査で、結構広い堀の跡と郭の石垣を検出し、断片が確認された。その遺構が城跡には露出展示されているが、福井城の日向門石垣のほうが圧倒的に存在があって目立つのはしょうがないところか。でも大河ドラマの影響や歴女ブームもあって、柴田神社には結構参拝客が訪れてるみたい。勝家像の後ろが建物の工事中のブルーシートやったんは残念やったけど。
 北ノ庄城を出たのは午後5時過ぎ。時間があれば湖東をブラブラ走って帰ろうかとも思ってたけど、どうやらそんな余裕はないらしい。幸い、柴田神社の前の道をそのまま東へと行けば福井I.C.で、さくっと北陸道に入れた。ここからは日暮れとの戦い、気温低下との戦いになる。明るいうちにできるだけ距離を稼ごうと休憩無しでひたすら南下していったが、ランナーズハイならぬライダーズハイのスイッチが入ったのか、暮れても休憩せずに結局西宮名塩までノンストップやった。途中、敦賀〜木之本、米原、八日市の辺りがかなり寒かったが、逆にこの寒さがスイッチやったんかも。大山崎の辺りでRESランプが点灯し、名塩で給油休憩したけど、ランプが点かんかったらあのまま家まで帰ってた可能性が高いな。しかし、前回の帰り道といい、長野行った時の帰りといい、長距離帰りはスイッチ入るわ。
走行距離 468.96km
合計 3日間 923.36km

No.29
No.28 No.30