10/10
 久々に3連休が取れそうだったので、今回は行き残しのある福井へ旅立つことにした。しかし、というかなんというか、まぁ事前に予測はできてたんで宿も予約してなかったんやけど、結局1日目は用事が片付かず、昼過ぎから出ることになった。これによって当初予定していた奥美濃福井ルートは無理になったから、若狭から入って南福井を回るとするか。
 昼どころか2時出発で、とりあえず向かう先は舞鶴若狭自動車道。今年から無料化実験でタダになっているので、使わない手は無い。ちなみに自分のバイクにETCは付いてない。
 阪神高速の北神戸線で西宮山口に向かい、そこから中国道経由で舞鶴若狭道に入ることにする。調子良く北神戸線を北上し、西宮山口I.C.で降り、国道176号線で西宮北I.C.へ向かった。が、うっかり右折を忘れて西宮北I.C.方向に行かず、国道176号線を走り続けてしまった。気付いたら見たことがある川沿いの道。これ、道場へ向かってるやん!と思ったときには中国道が頭上を通過していた。昼出発で時間が惜しかったから北神戸線を選んだのになんてこったい。でも、過ぎたんなら開き直ってワンコインで舞鶴目指すかと、気を持ち直してそのまま国道176号線を走った。
 三田西I.C.から舞鶴若狭道に入り、ひたすら北へ北へ。今日の目標は砕導山城ただひとつなんやから、それだけはなんとしても行っておきたい。舞鶴道から延伸されて舞鶴若狭道になって、高浜へのアクセスはすごく早くなった。高浜直前で何故かベンツと並走。こっちはスクリーンの風防に身をかがめて入らんとやってられん速度やのに、向こうは楽勝で缶コーヒー飲んでやがる。さすがに車は快適やな。
 高浜に到着したのは午後4時半。太陽の光に赤味が増して完全に夕暮れの色合いになっている。砕導山城へは佐伎治神社から行くというのは事前に調べておいたので、高浜駅近くの神社へ。幸いにも迷わず一発で到着した。佐伎治神社は城のある山の北東側で、太陽が沈みかけたこの時間では完全に日陰になっていてすでに薄暗い。早く登らなければ。
 砕導山城は、すぐ海側の高浜城を築いた逸見氏が高浜城に移る前に本拠としていた城で、福井でも相当大きな山城らしい。城へは、神社の境内に登山道を示す案内があり、そのまま登って行くと簡単に頂上に行けたし、思ったほど標高が無かったので良かったが、頂上から他の峰に繋がる道は見つけられなかった。獣道みたいな道なんかもしれんね。メインの登山ルート以外にも遺構は多いらしいから、もう少し時間があればもっと散策できたんやけど。あと、登山道沿いにやたらと茸が生えていたのが、なんだか秋っぽかった。
 高浜からは、今日の宿を取ってある敦賀まで淡々と国道27号線を走って行く。敦賀まで約65km。出発は午後5時20分。ちょっと予定より遅いけど、十分想定内や。だが、小浜辺りでポツポツとバイザーに何かが落ちてきた。ん?天気予報はにわか雨なんて言ってなかったぞ。でも薄暮の空を見ると、東から北側にかけてやたら黒い部分が広がってる。完全に雨雲やん。そうこうしてるうちに小浜市街を抜けると雨と風が強くなってきた。これは夕立ちやな。みるみるうちに上着が色を変え、その下のTシャツにまで雨が侵入してきた。雨は美浜あたりで止んだが、ずぶ濡れになった上着とTシャツからどんどん体温が奪われて寒い。でも、そのまま我慢して走ってると、敦賀に着く頃には半乾きになってた。
 予約していた敦賀ホテルに到着し、とりあえずチェックインして風呂へ入ろうとしたが、電気のつけ方が特殊で分からなかったりエアコンの風が少ししか出ないとか、急いでる時に限って間が悪い。何とかそれらを片付けて、濡れた上着やらなんやらを干し、風呂に入った。狭かったけど、暖を取るのに構ってられない。
 風呂で暖まって一息ついたので、着替えて商店街にご飯を食べに行こうとしたら雨が。これはさっき喰らった雨やな。雲は北西方向からやってきてるらしい。さっき喰らった通りなら、すぐ激しい雨になるので、そそくさとアーケードに避難すると、予想通り激しく降ってきた。改めて走ってない状況で見ると、完全に夕立ち。だだ降り。我ながら、よくこんな雨でカッパも着ずに走ってたな。
 アーケード内から出ることもできず、選択肢もあまりなかったので、たまたま見つけたココ壱でカレー食べ、店から出ると、雨はもう止んでいた。さすが夕立ち、潔い。飯も食べたが、風呂は暖を取っただけなので、改めて携帯のナビで銭湯を探し、ブラブラ歩いて銭湯へ。行ったのは敦賀温泉という銭湯やったけど、これが見本と言わんばかりの昭和的銭湯で、レトロ風ではなく、リアルでレトロな銭湯。ここは良かった。例えば、ロッカーに鍵は無いんやけど、客がいないのに荷物が入ってる。たぶんいつも来る常連さんは決まったところに自分の荷物を入れてはるんやろね。いや〜昭和やわ。番台のおばちゃんにタオル借りれるか聞いたらスッと出してくれたんやけど、それもタダやった。古き良き時代そのままやね。
 お風呂に入ってたお客さんは、俺を入れて3人。すぐ1人が出て行って、体を洗い終わる頃にもう1人が出て行って貸し切りになった。銭湯って、今のスーパー銭湯と違って夕方から10時ぐらいまでで、結構早仕舞いやもんな。のんびりできるわ。しかし、神田川をリアルで行く銭湯ってびっくりしたけど、実際のところ、絶滅危惧種やもんな。貴重な体験やし、子供の頃にたまに行ってた銭湯を思い出して懐かしかったわ。
 コンビニで朝飯を買ってホテルに帰ってくると、出る時に出掛けますと置いていった鍵がそのまま置いてあった。これ、空き巣楽勝やん。しかもフロントの裏の休憩室みたいになってる感じの部屋から、おばちゃん2人が言い争いのようにけたたましくしゃべってるのが聞こえる。のんびりしたもんや。しかし銭湯といい、敦賀には鍵を掛けるという習慣があまり無いんかも。田舎はまだそういう感じなのかも知れんね。
走行距離 230.72km

10/11
 疲れているはずやのに何故か寝苦しい夜を過ごし、目が覚めたのは5時半。目覚ましより15分も早く目が覚めた。和室を予約したはずやのに、なぜか和室を改造したような部屋にベッドというのが響いたのか。ベッド自体は柔らか過ぎず、程よい感じやったんやけど。
 6時半にチェックアウトしにフロントに下りたら、パジャマのおばちゃんが出てきた。寝癖そのままに宿の人が出てきた網野町の旅館を思い出すわ。さすがに7時より前になると、ホテルや旅館にとっても早いらしい。家族経営のところなら尚更やね。
 敦賀で最初に目指すのは敦賀城跡。一部で人気のある大谷吉継の居城やけど、今は何も残ってない。敦賀西小の敷地になってるということなんで、敦賀西小を目指して走っていると、よくみればここは昨日来た敦賀温泉の近く。朝飯を買ったコンビニは小学校にほぼ隣接している場所やった。なんという偶然。夜になると小学校も消灯するから、前まで来ないと分からないもんやね。明るいと遠くからでも目印になるんやけど。
 敦賀城跡から、すぐ近くの広い道を東に走り、国道8号線に入ろうとすると、目の前に気比神宮が見えてきた。特に寄るつもりはなかったが、正面に出てくるとなれば、寄れということなんやろう。まだ7時にもなってないし、サクッと寄っていくか。そして、寄った以上はおみくじを引かんとアカン。100円入れて勝手に取るタイプやったけど、朝早くてこの箱が拝殿のちょっと奥に置いてあったので、ちょっと失礼して柵から1mほど入って引かせてもらった。
 気比神宮から国道8号線に入り、国道476号線の天筒山トンネルへ向かう直前で山側に入って行くと、天筒山への登山道がある。金ヶ崎城には何度か来たが、一対となって使われていたこの天筒山城には来たことが無かった。信長による敦賀攻略では、この天筒山城落城が目と鼻の先にある金ヶ崎城の降伏を招き、浅井氏の退路封鎖で金ヶ崎の退き口という撤退戦が発生する一連の流れの端緒となるんやけど、戦国史をそこそこ知ってないと、金ヶ崎城は出てきても天筒山城は知らなかったりする。
 天筒山への遊歩道のところには、広めに駐車場が用意されていて、この時間でも2台ほど止まってた。毎日習慣で登ってはる人なんかな。朝日を浴びながら登って行くと、途中で東屋があるし、しっかり舗装されてる部分もあるし、整備は行き届いてるんやけど、結構急な坂道やった。この道を毎日登ったら、足腰は鍛えられるね。
 頂上はかなり手が入ってて、展望台や休憩場もあったので、古城というような感じではなかったけど、頂上付近の段郭や別峰の方向の堀切なんかはちゃんと残されていた。頂上の展望台から覗くと、敦賀港や金ヶ崎城から敦賀市街までが一望できる。これだけ眺めの良い場所を取られて、上から城内を丸裸にされては、金ヶ崎城も降伏せなしゃあないなという感じやね。
 天筒山から下りてくると、駐車場の車が5台ぐらいに増えていた。バイクの側に立って地図を見ながら出発準備をしていると、おばちゃんの運転する車が来て、クラクションを鳴らされ、何かあるのかと怪訝に思いながら退くと、そのままスーっと車が入ってきた。いや、確かに俺が退けば車1台分のスペースはあったけど、他が一杯ならともかくバイクの反対側にも1台分のスペースがあったし、他にも空きスペースがめっちゃあったのに、人を退かせた上にバイクスレスレに止めることもないやろ。これやからおばちゃんドライバーは困る。ここやと思ったらそこしか目に入ってない。ここに止める意味が解らんわ。それとも、毎日ここに止めるっていうルーティンになってて、これがきちんとできないと1日調子悪いんやろか。
 天筒山から快走路の国道476号線を北上し、9年前に行き損ねた所へリベンジに行く。9年前は、今庄に入ったところからかなりの曇天で、大野へ抜けるまで降ったり止んだりやったけど、今日はかなり快晴で今のところ雲ひとつ無い。嶺北側の予報でも、昼は曇り時々晴れで、雨の心配は無さそうや。
 国道476号線をひたすら北上し、木ノ芽峠から北国街道の国道365号線へ。今庄365とか、頻繁に出てくる365の数字が懐かしい。9年前はこの国道365号線から栃ノ木峠を越えて今庄に出たから、平安時代や源平の頃から難所として知られた木ノ芽峠、柴田勝家が大きく拡張した栃ノ木峠を行った事になる。嶺北嶺南を隔てる峠では、あとは山中峠か。しかし、国道の番号が若いけど、栃ノ木峠のほうが、トンネルが無いだけに厳しい峠道やな。
 峠を下った今庄で軽く休憩を入れ、次の目標である杣山城へ向かう。9年前に来た時は、車道で登山道の入口まで登ったものの、今にも降り出しそうな曇天だったので、登る事なく引き返した。今回はそのリベンジや。花はす温泉目指して右折し、集落入口辺りで山へと入っていく道に折れ、ゆっくりと車道終点まで登って行く。9年前に来た時は、この道はトラップかと思うような苔と濡れ落葉のオンパレードやったけど、今回はタイヤが踏みしめた轍状の部分に苔も落葉も無い。これぐらいなら楽勝で登れる。車道終点でバイクを降り、そこからは急階段を登って城跡へ。西御殿までは階段が続いてかなり厳しかったけど、それ以降の登山道は緩やかな尾根道で、かなり楽になった。この尾根道の右側は霧で左側は晴れているという、いかにも尾根という状況があったり、人の頭より大きなスズメバチの巣があったりと、城跡以外もなかなか面白かった。
 杣山城を下りて今度はすぐ北の小丸城へ。9年前は、雨が降り出したので目前のところまで行きながら引き返したという因縁の城、というのは言い過ぎか。とにかくリベンジや。国道365号線に戻って北上していると、横の田んぼに何やら一直線に3列ぐらい並んだカカシのようなものが。最初は、兵庫の相生の瓜生みたいに、ここは村おこしでカカシでもやってるんかなと思っていたが、近付いてみると微妙に動いてる。よく見てみると、あぜ道に沿ってみんな三脚にカメラを構えていた。そっか、ここは撮り鉄達の聖地か。なるほど、確かに直線が続いてて撮りやすそうや。記念に、塹壕に並ぶ兵士たちをイメージさせる撮り鉄の3段構えを写真に収めた。
 小丸城は武生I.C.から2kmほど東、レンゴーという工場の近くにある。ちょうど武生I.C.へ向かう交差点にガソリンスタンドがあったので給油し、そのまま東に進んで行く。途中にレンゴーの工場方向へ曲がったが、そこまで来ると神社の杜のようなところが見えてくるので、その杜へ向かえば城跡に着く。着いてから分かったが、武生I.C.から突き当りまで走り、右折した方が分かりやすかったかもしれん。ともかく、奇妙な形で残ってる埋門跡や内堀の跡など、思ったよりも遺構が形として残ってて満足した。
 目的の2城のリベンジを果たしたので、武生I.C.からサクッと敦賀へ戻る。敦賀I.C.で北陸道から降り、最初に見つけた店で食べようと昼飯が食べられそうな店を探したが無かったので、結局、朝に前を通った天筒山の麓のコンビニで弁当を食べた。ここから滋賀方向へ走り、疋壇、玄蕃尾、小谷、山本山と攻略しなくてはならない。弁当を食べ終わった段階で12時前。予定通りや。いつも詰め込みすぎて大概予定より押すんやけど、ここまで予定通りなのも珍しい。
 敦賀市街から国道8号線を南下し、国道161号線と分岐する交差点から疋田の集落へと入る。この集落は真ん中に川が流れてて、なかなか清々しいところやね。疋壇城は私有地の畑になってて、猪除けの電線とかが張り巡らされていたけど、形自体は大まかに残っている。昔は小学校やったらしいので、当然のことながらある程度の破壊はされてるやろうけど、石垣もあったし満足。城への階段のところで草を刈ってる人と話したが、秋には玄蕃尾城からこの疋壇城を経由して敦賀まで狼煙リレーをしているらしい。天気によって狼煙が見えたり見なかったりするらしいので、定刻になったら狼煙を上げてしまうとは言ってはったけど。ま、昔の人は目も良かったし、その中でも狼煙要員は目の良い人が選ばれたはずやから、昔と同じには行かんわな。
 疋田から国道8号線をしばらく行き、途中から刀根柳ヶ瀬方向の県道へと入り、次の玄蕃尾城へと向かう。この県道は、一部が北陸本線だったらしく、言われてみれば、電車道という感じの道や。玄蕃尾城へは滋賀と福井の両方から道が通じてるらしいが、事前に調べたところによると、福井側からの方が城の近くまで車道があるらしい。今日中に奈良まで行く身としては、当然のように福井側を選択するしかない。県道をしばらく行き、柳ヶ瀬トンネル手前で左折すると、ぐるっと回る感じで玄蕃尾城の近くまで行けるが、途中から未舗装なのが問題か。と思ったら、車道の終点まで舗装されていた。オフ車でもないので、未舗装の坂道やとひたすら歩かなアカンなと思っていただけにありがたい。車道の終点では、管理されている部署の方と思われる数人の人が遊歩道の補修作業をしていた。連休やと言うのにご苦労様やね。こういう人が手を入れてくれるお蔭で、自分ら城好きの人間は快適に城を散策することができる。感謝感謝。ちなみに、この車道の終点付近は久々坂峠、またの名を刀根越えという。あの織田軍の追撃によって朝倉軍が総崩れした刀根坂の戦いは、この峠を越えて撤退していく時の話で、ここでの敗戦で朝倉軍は組織的には崩壊してしまったわけや。
 玄蕃尾城へ向かう尾根筋は、やたら広く平坦で、城内かと錯覚するくらい。幅10mぐらいの平坦な場所が100m以上続く。ここは城に入りきれなかった兵卒などが野営した場所なんかもね。城の近くに防衛上不利な平坦な地形が、なんの細工も無く放置されるわけも無いやろうし。帰り道には、今から城へ行こうとしている人から「ここはもうお城ですか?」と聞かれたぐらいやから、同じように感じる人も多いんやろね。
 玄蕃尾城自体は、遺構が驚くほど明確に残っていて、しかも織豊系の山城だけあって地形を大幅に改変しており、縄張の妙が見える。中世からある山城は、地形を最大の防御力として考えてるから、地形をうまく利用しているんやけど、この城は、地形は参考にするよ、ぐらいに捉えた感じで、高低差もほとんど無く、山の中に在りながら人工的な防御設備が主役という面白い城や。
 玄蕃尾城のある柳ヶ瀬山の山塊から下り、再び柳ヶ瀬トンネルの入口へ。ここは鉄道トンネルだったこともあって1車線しか無く、交互通行になっている。中を走ってみると、電車トンネルそのままの雰囲気やけど、アスファルトだけは結構底上げされてるのか、妙に視線が高かった。これも電車トンネルを車道化した特徴なんかもね。
 柳ヶ瀬トンネルを抜ければ国道365号線に出て、そのまま快走路を下ると木之本へと出る。信号で止まると、前にはトライクが。トライクもきっと気持ち良いんやろな。木之本の突き当たりで一旦国道8号線に出て、北国脇往還だった国道365号線に再び入って小谷城へ。小谷城は3回目やけど、まともに写真を撮っていないので、記憶力が怪しくなってきた最近の自分を振り返り、遺構を写真に収めておくことにした。
 95年に来た時は、堅気かどうか分からない高級車に乗ったおっちゃんと自分だけ、2001年に来た時は下の駐車場に2台ぐらい止まっていただけやったのに、この日は下の駐車場が一杯で、上の車道の突き当たりも車を止める場所が無いほど。バイクなんでなんとか奥まったところに止めれたが、前とは雰囲気が一変してるのにびっくりした。いつからこんな観光名所になったんやろう。昨今の戦国ブームと来年の大河ドラマの影響か。でも本丸と大広間から奥に行く人は少なかった。小谷城攻防と言えば、秀吉による京極丸奪取で分断された本丸の長政と小丸の久政の間で連絡が取れず云々、というところがある意味クライマックスなのに、小丸や京極丸に行かないのはもったいない。
 小谷城の次は、その前線の重要な支城だった山本山城へ向かったが、小谷城から下りていくと、ヘアピンコーナーのイン側に止まってる車が。えらい邪魔なところで何してるんやろとよく見ると、脱輪してるみたい。あちゃ〜、お父さんやってもたなぁ。可哀相なマークX。でもレスキュー呼んであるみたいやしと、横目で見ながら先を急ぐと、麓の駐車場に車はおらず、あれだけうじゃうじゃ居た人が全く居なくなっていた。短時間でのあまりの変わり様にはちょっと笑ったけど、もうそういう時間ということでもあるわけや。急がないと。
 小谷城からは真っすぐ琵琶湖の方角に行けば山本山城に行けるはずやけど、夕日目指して走り出した道はいつの間にか南に向いている。おい、待て、とあわてて右折すると、そこは虎御前山の前に出てた。懐かしい。ここから虎御前山の陣所に登ったなという回想は置いといて、迷ってる間にも陽は沈んで行く。昔に通ったこともある、虎御前山の西側の道を北上して河毛のところから国道8号線に出て右折し、すぐ左折して山本山へ。しかし、山に入れそうと思ったヤンマーの工場の所からは墓があるだけで山に入れず、さらに少し進んで宇賀神社に登山道を見つけた。9年前に来た時は朝日山神社と常楽寺から途中まで登ったからそこを目指したけど、登山道を見付けたから違う所に着いたのは結果オーライで良しとしよう。問題は日没時間。もう太陽はほぼ沈んでる状態や。急いでバイクを止めて登山道に向かうが、足を踏み入れてみると、中は遥かに薄暗い。今から登るのに30分ぐらい掛かるとすると、帰りにはほとんど真っ暗になってるかもしれん。う〜む、残念ながらこんな軽装備ではちょっと無理みたいや。知らん山道で遭難するわけにもいかんしな。
 山本山城を出て湖岸道路に入り、南へ。この道は何度も通った道で懐かしい。長浜I.C.から北陸道に入り、名神高速の八日市I.C.へ。ここから山中をショートカットして奈良へと進む。八日市I.C.を降りた時にはもう完全に暗くなっており、これから田舎を走ることを考えて、早めの食事にしようとした。しかし、国道421号線にはいろいろと店があったが、国道307号線に入った途端に店が消えた。それはもうびっくりするぐらいに。仕方が無いので食事を後回しにして先を急ぐ。すると、日野で道沿いにラーメン屋が。ラーメンは後味が濃いのでツーリングではあまり食べないんやけど、ここを逃したら相当先まで無いっぽいので、とりあえず食べておくことにした。
 ラーメンを食べて店を出ると午後7時過ぎ。ここから山の中を縫って、まずは京田辺まで。そこまで行けば、奈良までは国道24号線という大幹線なんで、流れに身を任せておけばいい。日野から国道307号線を進むと、バイパス道路に入った。ここは確か有料道路で、お金を払って走った記憶があるが、料金所は撤去作業中やった。後で調べると、10月5日から無料開放されたらしい。僅か1週間前とは運が良い。街灯が無くて先を見通せないバイパスを進み、国道1号線の立体交差を越え、懐かしい野洲川沿いへ。あの黒々とした所は水口岡山城や。少し向こうの水口城跡で知らん間に昼寝してたこともあったな。そうこう思い出しているうちに、道は水口大橋を越えて信楽方面へと方向を変える。さすがに山を越えて信楽に入ってくると、水口とは温度が違ってかなり肌寒くなってきた。紫香楽宮跡駅の表示に懐かしさを覚えつつ、信楽口のコンビニで上着を着込み、国道307号線を西へ。地図で見れば、あと2つほど山を越えれば京田辺に出るはず。
 山道に街灯も無く、スモークの入ったバイザーでは先も見通せないので、信楽の町外れで地元の乗用車に先を譲って、その乗用車を先導代わりに走ることにしたが、この乗用車が速いこと速いこと。常時80km/hから100km/hというスピードでガンガン走って行く。バリバリの地元の車なんやろね。途中でこの乗用車が抜いた軽がいたので、今度はこの軽を先導車として走ったが、タイトなコーナーではこの軽にすらチギられかねん勢いやった。田舎の地元車というのは相変わらず速い。
 宇治田原でこの先導してくれた軽に無言のお礼を言って一旦休憩。もうひと山越えれば京田辺やし、コーナーが連続するような峠道も無い。5分ほど屈伸運動で膝や股関節をほぐして再スタートすると、すぐに京田辺に到着した。ここまでくればあとは南下するだけやし、走ったこともある道やし、距離も15kmほど。着いたも同然やな。この時間でも交通量の多い国道24号線を南下し、奈良市街へ入ると、9時半やというのに車は少ない。連休最終日というのもあるんやろね。駅前の地下駐車場にバイクを入れようとしたら、どうやら2輪は不可みたい。しょうがないので通路から入ってUターンして出ようとしたら、監視カメラを見たのかどこからか係員が出てきたので、2輪用の駐車場は近くにあるかと聞いたら、知らないとのこと。市街地にバイクの駐車場が整備されるのはいつになることやら。
走行距離 312.64km

10/12
 奈良で予約を取ったホテルは駅前ということやったので、駅前やのにこんなに安いやんと喜んでいたら、奈良公園に近い近鉄奈良駅ではなくてJRの奈良駅前やった。ここから歩くと結構距離あるし、そら安いわな。
 この日はバイクを置いたまま徒歩で散策。昨日は遅くまで走ったので、今日はホテルでのんびり寝てから動き始めた。しかし、駐車禁止がバイクにまで波及して、近頃は市街地に迂闊に置く事ができなくなったのはツラい。昔は駐車禁止でも2輪は除くという道がほとんどやったんやけどね。交通量の多い道ならともかく、センターラインの無い広い道でもその調子なんで困ったもんや。かと言って2輪用の駐車場が増えてるわけでもないし。
 JR奈良駅は、遷都1300年のパンフレットがあちこちに置いてあって、平城京跡へシャトルバスも出してるし、かなり熱が入ってる。でも、そんな人の多そうなところは何年か経って人が居なくなった頃に行くとして、それらを尻目に奈良公園方向へ。観光客の行き交う三条通りを真っすぐ行くと、猿沢池に着く。猿沢池は、お隣さんの興福寺の放生池で、生き物をこの池に放つと徳が積めるというお坊さんの修行の為にある池やけど、他にもいろいろと逸話や伝承があって、歴史のある池やね。学生時代に遠征で猿沢池のすぐ横の旅館に泊まったことがあるから、それ以来になるけど、なんかこの池は好きや。不思議と、猿沢池と亀っていうのは、奈良のひとつの風景として自分中で凄く印象に残ってる。
 お決まりのコースで、猿沢池から興福寺、かつては東大寺の境内やった奈良公園、そして東大寺と行ったが、興福寺は境内の工事中、東大寺は大仏殿に修学旅行生がやたらめったら居たので回避し、メジャーなところはいつものごとく行かなかったようなイメージ。ま、関西の人にとっては、春を告げる風物詩として必ずニュースで取り上げられるお水取りの二月堂が見れたし、個人的には満足や。しかし、連休明けを狙って来たのに、この観光客の数はびっくりやわ。外国人が多いのはともかく、修学旅行生や遠足の小学生だけじゃなく、写生に来てる小学生までおる。今日は団体さんの当たり日か。古都奈良の潜在能力を見せつけられたわ。今回は、朝ゆっくりし過ぎたのもあって登る時間が無かった若草山も含めて、今度は観光客の数に負けない気合を持って大仏さんを見に来よう。
 最後に春日大社を見学して寺社群を後にし、JR奈良駅に戻ってバイクに跨る。今日の最終目標は多聞山城。だが、奈良市街の各道で渋滞が頻発してたり、JR奈良駅から国道169号線に出ようとしてうっかり過ぎてしまったり、国道369号線から多聞山方向へ曲がるべき交差点を過ぎてしまったりと、著しく時間をロスしてしまった。結局、般若寺町の辺りから奈良少年刑務所に出て、道沿いに下って行ったら若草中学校の裏手に出たので、なんとか多聞山城に着くことができた。
 多聞山城の跡地は、今は若草中学校とそのグラウンドになっていて、じっくりと散策できない。せめて城址碑をと若草中学校の校門のところに行くと、ちょうど下校時間で、何のバイクやろうという目で中学生に見られた。これやから学校用地になってる城跡は困る。
 多聞山城を出て、渋滞に巻き込まれながら第二阪奈へ。高速手前で給油し、万全の態勢で高速に乗ったが、思ったより寒かったので料金所手前の駐車帯で上着を着ていると、すぐ後ろにパトカーが。「え?なんかしたっけ?」とびっくりしてよく見ると、パトカーの後ろにおばちゃん運転の乗用車が。スピード違反かな。かわいそうに。
 第二阪奈から阪神高速神戸線まではほぼ真っすぐで行ける。ややこしい大阪の高速網の中で、乗り継ぎしやすさはトップクラスやろう。奈良から神戸まではほぼ直線やし、距離も100kmとお手軽。ほんま第二阪奈サマサマやな。結局、渋滞にも遭わず、家に着いたのは午後6時前。ちょっと予定よりは遅かったけど、日没ギリギリで許容範囲内やな。
走行距離 108.48km
合計 3日間 651.84km

No.26
No.25 No.27