10/22
 今回は、四国で行き残した愛媛東部と、通過ばかりしてる徳島の吉野川流域を回ってみたい。予定は2日間。2日では距離的にちょっと長いのと、天気が2日ともかなり怪しいのが問題やけど、行くだけ行ってみるか。
 初日はなんとか午前中だけは天気が持ちそうなので、最悪、雨に降られても宿に直行できるよう、新居浜に宿を取った。新居浜なら目標の今治まで近いし、2日目が雨で退却することになっても瀬戸大橋からすぐ帰れる。
 今回は、きちんと朝早く起きて7時過ぎに出発できた。昔より早起きするのが苦手じゃなくなった気がする。歳のせいかと思うと、それはそれで微妙なんやけど。
 第二神明から明石海峡大橋、神戸淡路鳴門道、大鳴門橋といつも通り渡って行くが、朝の寒さもあって巡航速度は控えめ。さすがに10月終わりの朝ともなると、体感温度も大分低い。と言っても、11月の大分での午前7時山越えルートよりは遥かに暖かいけど。しかし、久しぶりに高速を長い距離走ると、なんだか新鮮で楽しいな。やっぱり大型の楽しみは高速でのダイナミックな加減速やね。
 四国に入って国道11号線に下り、徳島市街へ。目標とした時間は、通勤の車が一段落して営業の車が出る前の8時半前後やったけど、ほぼ予定通りで渋滞にほとんど掛からなかった。大きな目的地としては吉野川流域だが、一旦徳島市街を抜けて阿南へ。南へ行くほど天気の崩れが早いという予報なので、なんとか持ってくれればいいかと思いながら走っていると、小松島付近で雨がパラパラと落ちてきた。崩れるのが予想よりも早い。
 なぜ阿南かというと、そこに牛岐城があるから。まるで登山家のようなセリフやけど、実際にそんな心境。四国を南から半周した時に探し当てられなかった海部城や宍喰城も押さえておきたいけど、その辺りは室戸岬を再訪する時に行くとして、今回はなんとか手が届きそうな牛岐城を目指す。だんだんと本降りに近くなっていく雨足に負けず、なんとか阿南市街に入り、少しだけ迷ったものの最小限の時間ロスで牛岐城に到着した。しかし、牛岐城公園では愕然とする出来事が。なんと整備工事中で、工事フェンスに囲われて入ることさえできない。「おいマジか・・・。わざわざ雨の予報を聞きつつ強行突破して上着もぐっしょり濡れてるのに、こんな報いが待っていようとは。」と悲嘆に暮れたが、こればかりはどうしようもない。一応、未練がましく小山の周りを歩いてみたが、心の晴れぬまま、阿南を後にした。奪われた体温と往復1時間の貴重な時間ロスが、立入禁止よりも痛すぎる。
 北に戻れば天気も回復するやろうと、カッパも着ずに国道55号線を北上していくと、予想通り小松島を過ぎたあたりで雨は止んだ。行きとあまり変わらない地点が天気の変わり目やったし、幸いにも雨雲の速度は遅いみたいやな。
 1時間前に走り抜けた徳島市街に戻り、今度は国道192号線で西へ向かう。だが、国道192号線も何度か走ってるので、ちょっと気分転換に吉野川沿いを走ってみようと、適当な道を選んで右折し、吉野川方向へ走っていると、偶然にも鑓場古戦場というのを発見した。この古戦場で行われた戦いは、三好義賢が主君の細川持隆を謀殺した後に持隆の家臣が起こした弔い合戦で、結果は三好方の勝利に終わったとある。三好義賢は三好長慶の弟やけど、細川晴元配下の長慶と、持隆配下の義賢は実質的に別家で、兄弟の曾祖父や父が畿内で活動していた分が長慶に、本拠の阿波の分が義賢に引き継がれた。引き継がれたといっても、長慶の最初期の分なんて微々たるもんやったんやけど、何にしろ、この持隆暗殺によって実質的に義賢が阿波を掌握したことで、畿内で勢力を回復した長慶と一体的に行動して行くことになる。つまりどういう結論なのかと言うと、1550年開始の信長の野望のシナリオでは、長慶と義賢は別の家におらなアカンということやね。
 吉野川沿いを走ってると、ガソリンランプが点き出したので、最初に見つけたガソリンスタンドで給油。何気なく入ったけど、ハイオク137円で地元の最安店と比べても5円以上安い。岡山和歌山は安いと思ってたけど、徳島も安いんかな。それとも地元が高いだけなのか。
 国道192号線に戻ってしばらく行くと川島城がある。デンとした構えが国道からも見える建物は模擬天守で、実際の城跡はこの川島城の奥側、崖の先端部分にある。一時、おらが城という感じで、模擬天守がバンバン建ってた時代があって、その頃はこの模擬天守もそこそこ繁盛したんやろね。中に飲食店が入ってるけど、今は営業してるのかも怪しいぐらいやった。眺めとしては、この模擬天守からの眺めも良かったけど、本当の城跡にある岩の鼻からの眺めの方が良かった。ここはリアルに崖っぷちという場所で、吉野川が蛇行した場所のすぐ上やし、なかなかダイナミックな景色や。ただ、一歩間違えば確実に死ねる場所でもあるけど。
 川島城の次は、5kmほど西の青木城井上城。青木、井上、川島と続けば出席順かと錯覚しそうな名前やなというツッコミは置いといて、この2つの城は吉野川が削り取った河岸段丘の南側に並んでいる。山川町瀬詰という交差点を目標に国道192号線を走り、その交差点で左に曲がって急な坂を登って行くと、もう左側は青木という地域。ここのお堂の近くに城址碑があるらしい。耕運機のタイヤが落としていった泥の塊を避けつつ、農道をふらふらっと走ると、目印にしたお堂の前に碑があったのですぐに見つかった。この大師堂から北側を覗くと、河岸段丘と言っても四国三郎の異名をとった暴れ川だけにその高さはかなり高く、小城でもそこそこの防御力が期待できそうな立地やね。
 青木さんからお隣の井上さんへは、直線にして1.5kmほど。国道には戻らずに風景を楽しみながら、だいたいの方向感覚を頼りにゆっくりドライブ。しばらくアバウトに進み、ちょっと大きな道に出たので南へ行くと和紙伝統産業会館というのがあり、そろそろかなと右に曲がったら、なんとピンポイントで井上城の案内が出ている場所に着いた。ここから先は道が細いので、バイクを止めて徒歩で向かい、すぐに井上城へ辿り着くことができた。ただ、井上城自体は、周辺が圃場整備されてて、とても遺構が残ってるという感じではなく、城主のものと伝わる墓が2基あったのみ。歴史的に有名じゃない城の扱いなんてこんなもんやろけど、ちょっと残念。
 井上城から出発する頃に再び雨がパラパラと降ってきた。ついに時間切れか。岩倉城と脇城も行きたかったけど、これは断念せなあかんな。脇町I.C.から徳島道に入り、最悪、昼飯抜かなアカンかなと思っていると、雨が止み、空もちょっと明るくなってきた。なんとか昼飯ぐらいは行けそうなんで、吉野川S.A.で昼食を摂ることにした。駐車場では、誘導のおじいさんがわざわざ近い所に誘導してくれたけど、「すんません雨降りそうなんで」と丁重に断って、奥の第2駐車場のような所に止めた。ここなら高架下なんで雨が降っても濡れずに出発準備ができる。
 うどんと炊き込みご飯を掻き込み、外に出てみると、まだ天気は持つみたい。急いで準備を整えて出発し、次の井川池田I.C.で徳島道を降りて池田市街へ。俺ら世代には池田高校と言えば甲子園と蔦監督のイメージがあるけど、その高校のすぐ近くに大西城の城跡の説明板がある。説明板があるのは池田幼稚園の所やけど、池田幼少中高が並ぶ場所で、恐らく全部が城跡の平坦な地形を利用しているはず。この場所は池田市街よりも数10m高い丘状のところで、背後は吉野川が守っているという、築城用地としては申し分ない条件であり、池田市街から恐ろしい勢いで登らされる坂からそのことは実感できる。しかも、川も山も迫った場所で、辛うじて町が造れる後背地があったことから、江戸時代は長宗我部元親が拠点とした白地城ではなくこの大西城が使われた。この2つの城は2kmほどしか離れてないけど、軍事拠点と行政経済拠点の違いが色濃く出てて面白い。
 大西城の次はその白地城へ。何年も前、いや、10年ぐらい前か、ラフティングで大歩危小歩危に行って、その帰りに白地城跡のかんぽの宿で日帰り入浴をして帰った記憶がある。改めて訪れてみると、川からの高低さや街道との連結など、ここは軍事拠点として素晴らしく、元親の視点に納得する。そして、後背地の少なさから、大西城を江戸時代の拠点とした蜂須賀家政の視点にも納得する。この辺りは、叩き上げの戦国大名と織豊系2世大名の考え方の違いがよく出てて面白い。
 白地城の城跡自体は、昭和の頃にかんぽの宿が建てられた段階でかなり破壊されてしまってるので、期待してなかったけど、立派な城址碑があるということを知ったので、バイクを止めて周辺を散策してみた。すると、碑はあわの抄と名を変えた宿泊施設の南側にあった。私有地っぽいので入りにくいが、大西神社という小さな社の横に建っており、社周辺には石垣っぽい部分や土塁っぽい部分もある。碑のある所はあわの抄から一段下がったところで、あわの抄を主郭とすれば次の段という風にも見えた。これらが遺構かどうかは判断できなかったが、何にもないやろなと思ってただけに、城っぽい雰囲気が少しでも残っていたことに満足した。
 白地城の後は田尾城へ。ここは地図に載ってる城だが、ネットで調べてもあまり出てこない城で、国道32号線をちょっと南下したした先の山城町にある城だ。国道32号線を南下して祖谷口を過ぎたところで分岐があったので、城へ向かう国道319号線の入口かと思って曲がってみると、道はそのまま集落の中へ。徐行並みのスピードしか出せんし、しかもこれが結構長い。ツーリングマップルではこんな細い道なんか無視されてるから、細かい路地とかは勘頼りやし、どうしてもこういうのは付き物やな。天気が良くないから時間のロスが痛い。
 国道319号線に入って、事前に調べておいた細い道を城に向かって曲がるが、最初に曲がったところはすぐに国道に戻るだけの道やった。2度目に曲がった所が正解やったんやけど、軽自動車の幅しかない部分もあって、城の案内表示が出てくるまで合ってるかどうか半信半疑やった。田舎の山道は方向感覚も無くなるから怖い。
 田尾城は、すぐ北東の白地城に比べれば有名じゃないけど、遺構としてはこっちの方がよく残ってて、城好きとしては見るべきところが遥かに多かった。しかも、城に詳しい人が整備したのか、城の柵や各種の防御設備が実物付きで解説されている。ある程度知ってる自分のような人間から見れば基礎中の基礎という感じやけど、あまり知らない人が見たらこれは良い教科書やね。惜しむらくは、マイナーな城だけに、城をあまり知らない人間がわざわざこんな山奥まで城を目指して来るとは思えないところか。
 田尾城は峠道のピークに入口があり、城の入口を過ぎればひたすら下り坂となるが、その下り坂で道路工事をやっていた。この辺りは道が曲がりくねった細い一本道で、避けるスペースも迂回路も無いことから、工事中は通行止めにして、1時間に10分だけ通行できるようにしているらしい。田尾城へ向かう道でその工事看板を見たので、15時からの通行時間に合わせて田尾城を散策し、きちんと15時に停車場所まで行ったのに、結局少し待たされた。多分、通行時間にも車がほとんど通らんから、通行できるようにする時間は結構いい加減なんやろね。でも、こっち側から行けたおかげで遠回りしなくて済んだし、下りの道は結構広かったし、来た道を戻る事を思えば時間のロスはかなり避けられた。
 再び国道319号線に出て、銅山川沿いに四国山脈の中を西へと進んで行く。大昔にラフティングで吉野川に来た時、先導車が誤って井川池田で下りるのを忘れ、しょうがないので新宮で下りて吉野川に戻った時に走った道や。なんとなく見覚えのある景色が所々で出てきて懐かしい。
 このまま県道5号線を経由して川之江に行こうかと思ったが、日暮れも近付いてることやし、新宮I.C.が近いので少しだけ高速に乗ることにする。そういえば川之江は四国中央市になったんやったな。道路に出てくる青看板にでかでかと四国中央の文字が躍ってる。テレビでも取り上げられてたけど、四国中央とはまた大仰な名前を付けたもんやな。位置的に言えば、確かに中央ではあるんやけどね。ま、俺みたいな戦国フェチの中では、四国中央と言えば白地城が思い浮かぶわ。こっちは元親さんが四国各地に出兵した実績もあるしな。
 川之江の川之江城は、海際にむっくりと盛り上がった小山にある城で、別名を仏殿城という。信長の野望なんかでも仏殿城の名前で出てきてて、「仏殿ってまたえらい名前やな」と思ったのも懐かしい。城は江戸時代初期に無くなっているので、建物の類は残ってないんやけど、今は昔の石垣の上に真新しい石垣を積んで、立派な天守閣と城門が建てられている。ただ、天守閣の入場は午後4時までだったので、ギリギリで入れなかった。しかし、ここまでキレイになると、公園としてはいいんやけど、どうも古城としてはイマイチ。城跡がキレイさっぱり無くなってる所に比べたら相当マシなんやけど、きれい過ぎてどうも、ね。あと、涼櫓ってのがあって、用務員の詰所になってたんやけど、それが外から見えてしまって妙にガッカリした。外観は整ってるだけに、その辺は最後まで徹底して欲しい。
 川之江城を後にして松山道に入り、今日の宿である新居浜へ。もう薄暗くなってきてるが、天気はなんとか持ったみたいや。宿を取った別子荘という民宿は、新居浜の駅からすぐのところにあったが、再開発の真っ只中なのか更地がやたらと多かったおかげですぐに見つけることが出来た。築数年ぐらいの新しい宿で、中身も古民家風の和風モダンという感じが漂うオシャレなデザイン。同い年か少し上ぐらいの若夫婦がやっていて、この若夫婦の趣味なんやろうね。風呂も檜風呂やったし、値段を考えたら相当お得な宿やった。ただ、駐車場が砂利だったので、バイクにとってはこれだけが難点やった。結局砂地の庭の所に止めさせてもらったけど。
 風呂に入ってご飯を食べて、落ち着いたところで程近い新居浜駅に行ってみた。阿南で食らった雨が北上してきていて、雨が結構降ってたけど、人通りが少ないのは雨のせいだけじゃ無さそう。駅で観光パンフレットの類を探してみたが、観光に関するものは全く無かった。工業都市だけに観光の重要がほとんど無いんやろね。別子銅山とかはあるけど、車で行くのが主で、電車を使って新居浜に来るというのは少ないのかもしれない。
走行距離 363.36km

10/23
 昨日の夜に早く寝たせいか、この日は朝5時半に目が覚めた。窓の外を見ると、曇天ながら一応雨は止んでるらしい。
 荷物の整理とルート確認をしてから朝御飯を食べ、7時20分に出発。出発する時、宿のご主人さんと話をして、ご主人さんはバイクを絶賛してた。ただ、乗りたいけど嫁が・・・的な話になって、この話題が万国共通であるのを痛感した。いやはや、バイクの敵は雨と嫁か。雨は防御装備でなんとかなるが嫁は懐柔するしかないだけに難敵や。
 宿から出発する時、滝の宮公園方向に行くつもりが、何となく反対方向に出てしまった。感覚的に駅の南側に宿があるような感じやったけど、冷静に考えたら北側や。左に出たらアカン。
 朝の渋滞が始まりつつある時間やったけど、なんとか混雑を避けて滝の宮公園へ。ここは金子城のあった所で、金子元宅という武将の城。秀吉の四国征伐では結構名前の出てくる武将なんやけど、世間的にはドマイナーな武将やろね。金子城は城跡付近まで道が付けられていて、城の散策はすこぶる楽やった。朝一やから体力も十分やし、登山してもいい覚悟で行ったけど、今日も長丁場になるし、楽に行けるならそれに越したことは無い。
 滝の宮公園を後にして、かなり混んできた道を北上し、別子銅山記念館に到着したのは8時半。まだ開館時間ではないので、エントランスの所で地図を見ていると、記念館の方が出てきて掃除を始めた。開館時間前に入るのは無理ですよね、時間になるまでお城に行ってきますわ、という話をしたら、裏の煙突山は城とは関係ないと教えてくれた。ちょくちょくそういう人が来るらしい。わざわざ開館前というのに中に招き入れてくれ、郷土史の本を開いて本当の生子山城の場所を教えてくれた。地図には煙突山のところに生子山城のマークが打たれているが、これは誤記のようだ。地元に詳しい人に聞けて良かった。危うく誤解したまま帰るとこやった。
 開館時間まで時間があるので、せっかくやし、煙突山に登って精錬所の煙突を確認してから記念館に入った。この記念館は入場無料で、住友グループによって維持されてるとのこと。住友家飛躍の地となった別子銅山に対する思いは、財閥が解体され、住友本家との縁が切れ、グループの結束が弱まった今でも、確実に引き継がれているみたいやね。
 別子銅山で1時間ぐらいじっくり見学し、近くの新居浜I.C.から松山道へ入って、小松道で今治方向へ行く。小松道では、工事による交互通行で数分停車したが、たいした時間ロスも無く国道196号線へ。鳴門からぐるっと松山まで行ったし、香川も攻めたし、この今治辺りを制覇したら、一応四国一周は達成や。
 高速を出て、すぐにあるのが国分山城。山の名前は唐子山で、山の前には唐子浜が広がる。唐子という名は江戸時代に付けられた名前だが、この辺りは伊予の国分寺があった所で、地名としては国分のほうが遥かに古いし、城名も国分山城とか国分城などと呼ばれる。山の場所は、国道沿いにある山やし、唐子浜という大きなヒントがあるのですぐに分かったのだが、肝心の遊歩道がどこから出てるのかが分からなかった。事前に池のところから入れるとは調べがついてたんやけど、現地に行くと周辺に池が点在していて目印にならなかった。しょうがないので、南側から順番に怪しい道を進んでみることに。結局、信号から入る農道っぽい道が遊歩道に繋がっていて、素直に国道から信号で曲がればそのまま着くということやった。山がすぐ判っただけに、次の信号まで走らず山のほうへ入ってしまったのが敗因やな。
 国分山城は、遺構と呼べるような所が麓の段状の部分と頂上にしか無く、遊歩道は山を縦断するように真っすぐに貫かれていた。山の勾配関係なしに、スイッチバックのような場所も無く真っすぐに。この道は誰が設計したんやろね。中腹から頂上近くまでえらい勾配が急になってる。頂上からの見晴らしは良かったんやけど、階段のところからうっかり足を滑らせたら、どこまでも転がり落ちていきそうな遊歩道やった。遊歩道を視界に入れつつ海を眺めると、平面のはずの海が斜面に見えるような錯覚を起こすほど。頂上の辺りは公園になってるから、子供が来るのも想定してあるように思われるが、この遊歩道じゃ危険すぎて子供を行かせられへんぞ。
 国分山城の散策をしている時に雨がポツポツと降ってきた。今日も天気はイマイチやけどついに来るものが来たかとは思ったが、今治市街まで少しやし、カッパを着ずに次の目標である今治城へ向かう。今治まで行けば、ようやく4年越しの四国一周が成るというわけや。なかなか長かったな。
 県道38号線を海岸沿いに進むと、今治城のすぐ脇に着くのだが、天守が見えてきたなと思いながら今治城の案内表示が出たら曲がろうとしていると、案内を見逃したのか、流れも早くあれよあれよという間に過ぎ去って変則的な交差点に出てしまった。しょうがないのでバイクの機動力を生かしてUターンし、来た道を戻って今治城の天守が見える位置で左折し、なんとか到着した。
 今治城は、日本三大水城に数えられている城で、城の裏手はもう海になっており、堀沿いの道の先には、突き当たりが海になっている三差路が見えるし、潮の香りもする。海の近さを実感しながら城内に入ると、豪壮な石垣と桝形が出迎えてくれるが、これは再建されたもの。大手門の背後に見える天守も再建で、しかも今治城のものが移設されたという丹波亀山城が層塔型だったとされるのに、なぜか望楼型のデザインとなっている。城内の石垣も補修されたのか、やや新しい部分があって、当時の城の姿とはちょっと様子が違うみたい。とは言っても、満々と水を湛えた堀に白亜の櫓や天守は映えるもので、観光資源としては優秀やね。
 城内には藤堂高虎の像があったけど、前回の津城と合わせて高虎2人目ゲット。宇和島、篠山、伊賀上野、膳所にもあったらイヤッホゥのドラ6ならぬ虎6なんやけど。高虎がデザインしたのとは違ってる天守閣は、高い建物の少ない今治市街が見渡せて眺めが良く、天守閣には今治特産のタオルの展示もあった。多分、小学校か中学校でチラッとは習ったと思われるのに、まるで初めて知るみたいに新鮮なのは愛想笑いしながら横に置いておくとして、繊維系は中国や東南アジアに押されて苦しいやろうけど、こういう特色のある地場産業は頑張ってほしいね。全国同じような大量生産品ばかりじゃつまらん。
 今治城を出る頃には雨は上がっていた。これから海岸に平行するように伸びてる国道317号線を走って波方へ。ここには海山城展望公園というのがある。せっかく遠くここまで来たんやから、城とついてる所は行っておこうということで寄ることにした。ここはマイナーなのが分かり切っていたので、事前に調べた甲斐もあって迷う事なく着くことができた。目当てにしてた城の遺構はよく分からなかったけど、もっと小さな展望台かと思っていたら、ちゃんと芝生が敷かれた公園で、こまめに人の手が入ってる様子。しまなみ海道が一望やし、夜に来ればいい夜景スポットなんやろね。日差しも出てきて、いい風景写真が撮れた。
 海山城展望公園を下りて国道317号線へ戻り、しまなみ海道へ向かうが、そろそろガソリンが危ない頃。しかし、国道沿いのガソリンスタンドで目にしたレギュラー169円で一気に給油する気が失せた。広島ならコンビナートとかも多いから安いかもしれんしと自分を納得させて、今治北I.C.からしまなみ海道へ。本土側の雲行きは怪しいけど、四国側はまだ晴れていて、なかなか爽快。しかし、入って数km走ったところでガソリンランプがじわっと点灯してきた。燃費考えれば十分本土まで持つけど、やや不安やな。
 途中、瀬戸田P.A.で先に人間のエネルギー補給。食堂は間が悪く半分が工事中でシートに覆われ、工事の音がうるさい。おわびにレモン塩の小袋が付いてきたのでよしとしたけど、頼んだ尾道ラーメンに背脂が少なくてちょいと不満。P.A.のご飯に期待はしてないけど、尾道ラーメンを謳うならもうちょっと頑張って欲しい。
 瀬戸田P.A.を出る頃には少し曇りつつあり、本土に向かうにつれて暗くなっていったが、雨はどうやら大丈夫みたい。しまなみ海道から国道2号線のバイパス経由で山陽道に入りたかったが、給油をしないとアカンので国道2号線の本線へ。結局そのまま国道2号線を走っていったので、福山までかなり時間をロスした。
 福山での目当ては神辺城。福山城には行ったし、福山を何度と無く通り過ぎてるけど、神辺城には残念ながらまだ行けてなかった。国道2号線から国道313号線に入り、神辺へ。神辺高校のところからスッと山側に入ればそのまま城跡直下の駐車場までバイクで登っていける。日暮れまでにある程度帰っておきたい身としては、ここまで登れるのがありがたい。
 神辺城は、江戸時代初期まであった城だけに、段郭なんかがきれいに残っている。櫓はもちろん、石垣なんかも福山城築城の際に運び去られて痕跡しか残ってないが、切岸などはかつて備後の首府だっただけにさすが。整備もされてるし、散策しやすかった。神辺城から同じような高さに見える城っぽい建物は、福山市神辺歴史民俗資料館。この資料館は城の中に建てる予定があったらしいが、遺構が破壊されるので別峰に建てられたらしい。この遺構を見ると正しい判断やね。この日は、古文書による江戸時代の街並みの解説などを企画展としてやっていたが、なかなか江戸時代の絵図なんかもきれいに残ってるもんやね。入場無料やったし、貴重な物を見せてもらったわ。館の人は来館者と古文書について話し込んでたから、俺が来たのは知らんかもしれんけど。
 神辺城と資料館を見終わったのが午後3時50分。隙あらば岡山城も攻めてやろうと思ってたが、それは無理そう。でも夜遅くなる前に家に帰れそうや。ただ、怪しい雲行きだけがちょっと嫌な感じ。急いで帰らないと。
 福山東I.C.から山陽道に入り、倉敷JCTから瀬戸中央道へ。そして、早島I.C.で下りてバイパス化されてる国道2号線を東へ行く。この辺りはバイパスやからそこそこ流れるやろし、岡山ブルーラインで帰れば神戸まで100円で帰れる。コスパ抜群。でも早島I.C.を下りたところで雨がパラパラと降り出した。とは言っても、上着の色が変わるほどは降らず、幸いにもずっとパラパラのままみたい。
 大型トラックに挟まれつつ国道2号線を東進すると、岡山市内のバイパスは予想通り流れが早く、スイスイと進む。それでも、岡山ブルーラインに入った頃には日も暮れてしまった。岡山ブルーラインは照明が少なく、雨もパラパラ降ったり降らなかったりで、スモーク入りのバイザーがただでさえ暗いのに、雨粒が乱反射して見難いことこの上ない。通勤帰りと思しき前の車は、勝手知ったる帰り道とコーナーでも減速せずにガンガン進んで行くが、先が暗くてRが分からない自分は、前の車に速度を任せてついて行くのみ。よく知らない道で先も見難いのに先頭になりたくないから、前の車がブルーラインから降りたら、その先の車に頑張って走って追いつく。これの繰り返しや。
 岡山ブルーラインを終点まで走り、国道2号線に戻ってしばらく進むと、岡山兵庫県境の船坂峠に差し掛かる。ここで雨がやや強く降ってきたので、いよいよカッパの出番かと思ったが、峠を頑張って越えてしまうと雨は止んだ。そして太子竜野バイパスの入口近くのコンビニで最後の休憩を入れた時には、上着はほぼ乾いていた。ぼちぼち夜走るのは厳しくなってくる季節やけど、まだまだ服は乾くぐらいではあるらしい。太子竜野バイパスから姫路バイパス、加古川バイパス、第二神明と乗り継ぎ、家を目指すが、残り5kmほどのところでザッと雨に降られて上着を水がちょっと貫通した。最後の最後で遂に貫通か。それでも2日とも予報が悪い中、ここまでカッパ無しで乗り切ったんなら、これは凄い勝った気分やな。プチ晴れ男の本領発揮や。ま、できればガチ晴れ男になりたいもんやけど。
走行距離 360.80km
合計 2日間 724.16km

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No.24 No.26