10/24
 今年の秋はどこ行こかと考えていると、最近四国ばっかりやなということで、反対方向に走ってみることにした。行き残しの多い福井やほとんど足を踏み入れてない愛知なんかも行きたいけど、さすがに2日じゃもったいない。この辺は3日以上休みが取れた時にしよう。
 ちょっと朝の出発は遅れたが、いつものように第二神明から阪神高速を乗り継いで、阪奈トンネルを突き抜け、奈良へと向かう。和歌山から奈良経由で帰ってきた時、奈良から1時間で帰れたことに驚いたが、地図で見てもほぼ一直線やし、これがやっぱり一番の近道や。でも今回は神戸の京橋から生田川の間と阿波座J.C.で混んでたので、ちょっと時間を食った。
 第二阪奈道路の出口を出ると、すぐ左手に平城京跡がある。1度寄って見たいが、今日の目的は三重やからまたの機会にして、右折で国道24号線に入って南下し、名阪国道を目指す。真っすぐ南下して郡山I.C.から西名阪に乗れば早いんだが、天理までの1区間でお金を払うのもなんかアホらしいので天理I.C.に向かうことにした。ところが、国道24号線から国道169号線の橋渡しに使った県道が1.5車線の道で、案内表示なども無かったので、うっかり国道169号線に入る交差点を通過してしまった。地図を見ると、このまま道なりに東へ行けば五ヶ谷I.C.から名阪国道に入れそう。五ヶ谷I.C.へ向かう道は、所々整備されていて快走路になってた。区間は短いけど、気持ちよかったし、ちょっとラッキーやな。
 名阪国道の五ヶ谷I.C.は、噂のΩカーブの所。合流早々急コーナーが待ってる。しかも大型トラックなどの交通量が多いし、なんか嫌なプレッシャーを感じるところやね。事故が多いのも頷けるわ。この山間部を過ぎれば後は他の高速と変わらない。渋滞も無かったし、スイスイと伊賀上野まで行けた。途中カプコンの工場があったりしてびっくりしたけど、名阪国道業界ではカプコンストレートとして名前が鳴り響いているという。
 上野I.C.で名阪国道を降りてちょっと北へ行くと、すぐに伊賀上野城が見えてくる。城を左手に見ながら市役所の方へ行き、城の駐車場に着くと満車の文字が。いくらメジャーな城でも平日に一杯なんてありえない。なんか市街地が騒がしかったし、どうやら今日は祭りらしい。しょうがないのでちょっと外れた道脇にバイクを止めた。こういう時でも気軽に、しかも合法的に止めれるのがバイクのええとこやね。
 上野城は藤堂高虎の築城として有名だが、元の形を造ったのは筒井さんで、筒井天守跡に名前が残ってる。高虎の築いた天守には諸説があって、はっきりとした概要は知られていないんやけど、完成することなく倒壊したか壊されてしまったらしい。今の天守は昭和10年に建てられた模擬の天守やけど、これが模擬には珍しく木造で、やっぱり鉄筋コンクリートとは違った趣があって良い。
 祭りの影響で道が封鎖されてて、上野市街からの脱出にはちょっと苦労したが、無事に国道422号線に出てすぐ南の丸山を目指す。もう10年以上前、20歳の時にこの丸山近辺で野宿したことがある。あれが本格的なツーリングの始まりやったなぁ。懐かしい。で、その時に誰もいない交番の地図で丸山城というのを見つけ、早朝から探し回ったが結局は見つからなかったという因縁の城が丸山城で、いつか再訪したいとずっと思っていた。今度は登山道が分からず断念ということが無いように念入りに予習もしてきたし、準備万端、と思いきや、場所は分かってるのに登り口の案内が全く無い。領主谷という何かありそうな名前の場所の方まで走ってみても何の案内もないので、唯一見かけた人に聞いてようやく登山口が分かった。やっぱり地元の人に聞くのが一番早い。なかなか来れんとこでは失敗しないよう聞くのがいいね。人見知りの俺にはハードルが高いけど。
 人工的な土塁や堀切といった構造物がはっきり分かる丸山城で古城を堪能した後、そのまま国道422号線で名張へ向かう。その10年以上前のツーリングの時に名張で民宿を探したが、電話帳に2軒しかなく、電話すると1軒は定休日で1軒は廃業というのが判り、初野宿が決定した街だ。桔梗が丘という名がやけに印象に残ってて、なぜか桔梗を家紋とする明智光秀がリンクして浮かび上がってくるんだが、当時のふとした連想がそのまま記憶に残ってるんやから人の頭って面白い。
 名張のコンビニで弁当を買い、駐車場で遅い昼飯を食べていると、少し上ぐらいの歳のちょっとイカついお兄さんが「そのバイク、いくらぐらいすんの?」と声を掛けてきた。挨拶も無しにイキナリ聞くんかいなと思いながら「込み込みで120万ぐらいっす」と答えると、そんなにするのか的な顔をしながらソソクサと車に帰っていった。そうなんすよ。バイクやけどこいつは結構ブルジョアジーの乗り物なんすよ。
 名張城跡は遺構が残っていないので、さっと見て5分で出発し、国道368号線で伊勢へと入っていく。この道は所々旧道で狭いものの、基本的には広い2車線道路やし交通量も少ない快走路で、かなり気持ち良い。こういう道だと、レッドなチケットを頂いた四国での悪夢を思い出すが、今日のところは大丈夫なようだ。
 美杉町に入ると、今度は県道15号線を北上して比津峠に向かう。なぜ比津峠かと言うと、この峠の頂上から霧山城に行けるから。事前に予習したところによると、城へは北畠神社の方からと比津峠からの2方向に登山道があり、地図を見る限りは比津峠からの方が近い。今日行く予定の城の数を考えると、できる限り時間を削らないとアカンので、比津峠からとなった。この峠の頂上部には、もう1台大阪ナンバーのバイクが止まっており、自分と同じお城ライダーが攻城中らしい。ただ、ここは裏道、搦手なので、近いと言っても勾配が尋常じゃない。登山道はとても整備されていて丸太を使って階段にされているが、古い家の階段ような勾配で延々と続いててきつかった。だが、城跡に入ると、足を上げていくだけしか考えられないような登っている時のタフな感覚が一転して、夕日が山々の奥に沈みかけて夕暮れが眼下の山に広がっているという秋の落ち着いた景色があった。そして、汗を引かせる風がとても心地良い。山しか見えない景色で、しかも近くの山々は眼下にあるっていう、こんな標高の高いところに城を造ってるなんて、詰の城と言ってもよっぽどの非常時用なんやろね。
 霧山城に登っている時、峠に止まっていたバイクの人に出会ったが、やっぱり城が好きらしい。その人は日帰りらしく、やっぱり泊まりで来なアカンなと言っていた。と言っても、自分も宿は松阪なんで確実に日没後になるわけやけどね。しかし、その前に大河内城には寄っておきたい。日暮れの迫る山道を走り、国道368号線から国道166号線に入って行くが、急ぐ心とは裏腹に大河内町へ入る頃には空は薄明るい程度になっていた。こうなるとバイクは不便で、地図も見えない。そして、時間的に車も多くなってきてる。そんな理由もあって車の流れに流されるようにするすると走ってると、あっと気付いた時には桂瀬まで来てしまっていた。ほぼ夜になろうとしてるのに通り過ぎるという決定的なミス。アカンな。時間切れや。今日は大河内城の場所を確認するだけにしとくか。
 大河内町まで戻って大河内小を目指す。予習したところでは、城は小学校のすぐ西南の山にあるはず。ちょうど小学校の近くに交番があったので、周辺の地図を確認させてもらおうと入ってみると、留守やった。学生時代の丸山城と言い、三重ではなぜか留守交番で城の場所を確認することが恒例らしい。
 大河内城は場所の確認に留まったが、それ以外の予定していた城はすべて行けた。日暮れの早い秋やからまぁ上出来か。後は松阪の宿に行くだけ。しかも国道166号線をそのまま行けば松坂市街に到着という寸法や。
 国道166号線を進んでいくと、道は松阪市街に入って行き、国道42号線と合流する。さすがにこの合流ポイントは時間が時間ということもあって渋滞してる。この合流点の辺りから宿に向かうんやけど、宿のHPにあった地図はかなりアバウト。仕方が無いので合流点付近のガリバーの駐車場の明かりで地図と照らし合わせていると、中から営業の人が出てきた。宿への道を見てるだけですと申し訳なさそうに言うと、わざわざ店の地図を見てくれて道順まで教えてくれた。営業の鏡やね。客でもなんでもないし、遠いからいずれ客になるという見込みもないのに親切にしてもらってありがたい。
 その営業の人の道順通りに大黒田町を曲がり、橋を越え、信号を2ばかり曲がると宿が見えた。完璧な案内やな。そして宿にチェックインすると、女将さんが玄関にバイクを入れてもいいよと言ってくれた。なんて三重の人は優しいんやろう。いや、商人として気遣いが行き届いてるというべきか。伊勢商人の本拠地だけある。
 この日の宿の夕食は豚肉の生姜焼きとサバの味噌煮。松阪で牛ではなく豚というのもまた一興。また、味噌は関西のものと比べて味も色も濃い。これは愛知の八丁味噌の影響かな。でも女将さんなどがしゃべってるのはほぼ関西弁。意外なところにいろんな地域の色があってなんか勉強になった。
走行距離 254.56km

10/25
 朝、宿に泊まっていたドカタの兄ちゃん達と同じぐらいに早起きしてご飯を食べ、部屋の風呂でひとっ風呂浴びてから出発した。ゆっくりし過ぎて7時過ぎに出る予定が8時前になってしまったが、それでもまだ余裕。だが、時間的には超順調のはずが、荷物を積んでいるとパラパラと雨が落ちてきた。最悪、長浜に行ったときのように直帰すら覚悟したが、どうやら雨はパラパラ程度から強くならない。とりあえず松阪に泊まって松坂城に行かない手はないと、曇天の中を動き出した。しかし良い場所に泊まったね。宿から真っすぐ行って大きな角を曲がり、ちょっと坂を登ればもう松坂城。迷う心配が無い。松坂城へ向かう途中、ゆっくり走ってると三井家発祥地という案内が目に入った。そういえば三井家は伊勢商人やったな。後で寄ろう。
 松坂城は蒲生氏郷の築城で、野面積みがなかなか良い雰囲気を醸し出してる。築城がもう戦国時代の終わりで、戦乱に巻き込まれた歴史も少ししか無いから、城内では江戸時代の本居宣長がやたらと押されてる感じやったけど、城の縄張がしっかり残ってて、しかも江戸時代の石垣の積み方じゃないし、戦国時代の洗練されてない武骨な感じが十分に残ってる。特に虎口や桝形に迫力があって良い城やった。
 松坂城から案内に従って三井家発祥地へ。案内通りに進むと来る時に通った道やった。さっと通っただけでは分からず、一旦宿まで走ってしまい、Uターンしてようやく見付けたが、建物的には伊勢商人の館なんかの方が目立ってしまって、うっかり見落としがちかも。建物前で写真を撮ったが、残念ながら中には入れないみたい。
 松阪城を出る頃には、地面はアスファルトが濡れるくらいになっていたが、雨はほとんどやんでいて、なんとかもってくれそう。近鉄とJRの2重踏み切りで5分ぐらい待たされ、こんな長い踏み切りはむちゃくちゃ久しぶりやなと思いつつ市街地を抜けて行くと、アスファルトも濡れてなかった。通り雨は市街地だけやったんかな。
 松坂城を出て目指すのは松ヶ島城。ただ、地図をしっかり見る時間がないまま国道23号線に出て咄嗟に右折したが、松ヶ島城方向は左折やったらしい。数km走ってどうもおかしいと気付き、コンビニで折り返した。
 松ヶ島城があるのは新松ヶ島の交差点近くの集落裏の田んぼの中。集落を走っていても案内らしきものが無かったので、川沿いから田んぼの方へ行くとそれらしき小山が見えてきた。ちょうどその小山の少し手前でバイクを止めようとしたら、散歩中の地元の老夫婦に声を掛けられたので、城はあの小山ですかと聞いてみると、地元では松ヶ島城とは呼ばず天守山と呼んでるとのこと。学生さんかとも聞かれたが、さすがに30越えたおっさんにはちょっと無理がある。青森や鹿児島に行った頃なら、まだ20代半ばやったからごまかしが利いたんやろけどね。まぁ70歳から見たら、20歳と30過ぎの歳の差なんて誤差みたいなもんかと妙に納得したけど。
 松ヶ島城から今度は西へ進路を辿り、阿坂城を目指す。だが、国道から外れて細い道を走っているうちに現在位置が分からなくなり、県道580号線に出てようやく位置を把握できた。この県道580号線沿いの伊勢中原駅の近くに津屋城という地名がある。地名の案内板を見て思わず止まってみたが、城跡の類は無かった。多分、昔は城があったと思うんやけど。
 そのまま県道580号線を行きたかったが、工事中で迂回路からJRを越えさせられた後、県道に復帰して伊勢道の手前で南へと折れ、しばらく行くと阿坂城への登山口に着く。伊勢国司の北畠氏の菩提寺という標柱があり、その菩提寺の浄眼寺の横から登山道が出てるから判りやすいはずなんやけど、お決まりのように標柱をうっかり無視して通り過ぎてからUターンして着いた。予習で菩提寺のことまで調べず、寺の横からとしか覚えてなかったのが原因。ちゃんと調べとけよ、俺。
 寺の駐車場から城跡まで約40分とのこと。ほぼ一番下からということで、今日一番の登山になるのは間違いない。気合を入れて登って行くと、急な坂路がずっと続く。なかなかきつい。でも空が見えて喰い違いの土塁が見えるまで30分弱で行けた。この南側の郭は3段構成で切岸が見事。郭に登ってみると北の峰にもう1つの削平地が見える。一旦下ってまた登る道を再び5分ほど歩いて着いたのは標高313mの桝形山山頂。ここが北側の郭で、2段構成になっていて、別名白米城ともいう場所。視界が開けてて、眺めが素晴らしい。しかし、北畠さんの城ってば霧山城といいここといい、峻険なとこばっかりやね。まぁ室町時代の、防御力は地形が最優先!みたいな時代の築城やから当たり前と言えば当たり前なんやけど。
 山を下りる時に4人組のオバチャンと、15人ぐらいの養護学校と思われる人達とすれ違った。ここを登るのは城目当ての人だけじゃないんやね。確かに登山道はしっかり整備されてて登りやすい。城目当ての人だけしか来ず、登山道が半分藪化してる城も多いから、ハイキングコースとして人気というのもある程度必要やな。人が多すぎると古城の風情も趣も無くなるけど。
 阿坂城の次は津城を目指す。浄眼寺の駐車場を出て北上し、一志嬉野I.C.から伊勢道に入り、津までの時間を短縮する。ぼちぼちガソリンランプが点き始めたので、入りやすいセルフのガソリンスタンドを探しつつ進んでいると、津城に着いてしまった。まさに、おっという感じで、気が付いたら右手にお城が見えたので、慌てて右折した。
 城の周りは官庁街で、県庁所在地だけに交通量も多いし人も多い。また運の悪いことにちょうど昼休みの時間でもあったので、お城公園の中にも人が多かった。津城の本丸と西ノ丸周辺が公園として残ってるんやけど、少々形が変えられていて、当時の縄張図からイメージを起こすのに時間が掛かった。完全に変えられてるなら逆にイメージしやすいんやけど、少し変えられてるだけってのは現在の形にイメージが引っ張られてしまうね。
 津城のすぐ東を通っている国道23号線を北上しながらバイクと体にガソリンとちょっとベタついてたチャーハンを入れ、両方お腹一杯になったところで神戸城へと向かう。神戸城は鈴鹿市の市街地にあり、神戸高校のすぐ横の公園がそう。城らしき面影は本丸と内堀の辺りだけやけど、長閑な公園で、保育園児が遊びに来てたりとなんか長閑でいい所やった。
 神戸城からは県道27号線と637号線で峯城へ。途中、県道637号線で知らぬ間に国道1号線に行かされかけたが、側道を使って強引にUターンし、真っすぐ西へと向かう。途中、伊勢国府跡の案内表示を見つけたが、秋の夕暮れは早いし、時間の関係でスルーした。国道306号線が川沿いを通っている八島川を渡って峯城の近くまで行くと、こんもりとした丘陵の入口に遠目からでも案内板が見える。初めて手書きの峯城の案内表示を国道306号線で見かけたのは、まだ学生の頃やったな。あれから10数年。ようやく訪問ができた。
 峯城の案内板は遠くからでも見えたのだが、その辺りからして藪化していて登り口がよく分からない。仕方がないのですぐ近くの農家の人に道を聞いてみると、丘陵沿いにやや奥まで行った所から入れるとのこと。ついでに、マムシがおるから棒で地面叩きながら行ったらいいと、棒を貸してくれた。なんでもここのマムシは、かつての城主が堀の無い南側を防御する為に放ったものだとか。谷もマムシ谷と呼ばれてるらしい。地元でしか聞けない貴重な話やね。そのおじいさんの話では、昔は茶畑なんかがあって人の手が入っていたが、今は誰も入らず、草も刈られていないらしい。丘陵に沿って奥まで歩くと、案内の標柱が建っていて城跡への道もあるが、登った先は藪化していて、おじいさんの言うようにほとんど散策できなかった。それでも標高が低いほうの東側はなんとかなったが、城の中心部分と思われる場所は1mほどの杉の幼木が植えられている上に藪が茂り、どうにもならず。植林されてたから一応は放置されているというわけでは無さそうやったけど、この藪から見ると、年1回ぐらい山に入る程度かも。
 おじいさんにお礼を言って棒を返した後、国道306号線を南下して国道1号線に入る。流石に国道同士が交差する場所はちょっと渋滞もしてたが、何回か来た場所で、昼飯食ったこともあるなぁと思い出して懐かしくもあった。渋滞覚悟で国道1号線に入った理由は、関宿や赤坂頓宮跡、鈴鹿峠に行く為。しかし、時間的に関町の宿場町や頓宮をブラブラしてる時間は無さそうだったので、滋賀を放浪してた時に小一時間昼寝したこともある道の駅関宿で軽く休憩を入れ、そのまま鈴鹿峠へ。この峠道は2車線もあるし、上りはビックバイクのトルクを生かせて楽しい。ただ、四国へ行ったときのレッドチケットが頭をよぎってガンガンとは攻めにくかった。これも抑止効果なのか。3年前のことやと言うのに、半分トラウマに近いな。
 滋賀県に入り、今日の最終目標である日野城へ向かう為に県道41号線で北へ。ここは滋賀を放浪していた時に通った道で、台風直後だったその時も酷かったけど、今日も道の真ん中に大きな石が転がってるわ苔が生えてるはで、なかなかタイトな道。途中、ちょい大きい石をうっかり踏み、前輪が跳ねてコケそうになった。このまま県道を真っすぐ行くと日野の旧市街に着くはずやけど、城はダムの横にあるので日野川ダムへの道を探したが、結局それらしい表示は無かったので、仕方が無なく日野の旧市街の突き当たりを右折して旧街道と思われる古い町並みを抜けて行く。しばらく走ると、城の案内表示があり、迷うことなく到着できた。
 夕闇迫る日野城を散策し、急いで写真を撮って回ったけど、木がうっそうと茂る城跡の写真はよく分からんものが写ってるんやろな。しかも途中で充電が切れたから充電待ちの時間があったし、撮るのに時間が掛かってしまった。まだ空は明るいから、木がもうちょっと少なければ割とちゃんと取れてたと思うんやけど。
 行きたい所はこれでほぼ行けたけど、4時ぐらいに名神に乗りたいなと思ってたのに、もうとっくに4時を過ぎてる。日野を通ってる国道477号線をそのまま辿っていけば名神の竜王I.C.に行けるんやけど、この国道がまたちょっと曲者。国道のくせに交差点での右左折が妙に多いし、明らかに曲がったほうが細い道やのにそっちが国道やったりとか。青い案内標識じゃなく、矢印みたいな形の道路番号表示が道端にぱっと出てくるだけの所もあって、咄嗟にフルブレーキで曲がったりした。我ながらあの判断と反応は良かったな。うん。まぁなんやかんや言って、やっぱり400オーバーの国道というところやな。400番台は気をつけなアカン。
 竜王I.C.に着いたのはちょうど5時。予定より1時間遅れか。なんとか陽が沈むまでに大阪を抜けたかったが、どうにもならんので、できるだけ先を急ぐ。途中の瀬田や京都東の辺りで流れが悪くなったが、渋滞と言うほどではなく、なんとか完全に夜になる前に大阪を抜け、渋滞を回避できた。何が面倒くさいって、京都南と高槻〜茨木の渋滞が一番やから、そこさえ渋滞無しで抜けれれば万々歳。しかしまぁ、名神も混まなくなったな。昔は京都から大阪まで帰ろうと思ったら相当渋滞を覚悟せなアカンかったけど、天王山トンネルが増設され、京滋バイパスも接続されて、流れが分散してる。まぁピークよりちょっと早い時間ってのもあるんやろけど。
 結局、渋滞を回避した勢いで淡河P.A.までノンストップで走り、三木東まで1時間と20分で着いた。ここでこの時間なら上出来や。今回は行きたい所をほとんど回れたし、いつもモリモリ行く所を盛り込み過ぎて時間が足りなくなってまうんやけど、それもなかったし時間的にはかなり成功やったな。
走行距離 299.84km
合計 2日間 554.40km

No.24
No.23 No.25