9/9
 今回は、南日本をぐるっと回った時に時間切れというか、寒さに負けて行けなかった四国を1周してこようと計画を立てた。しかし、季節物というか、運悪く台風が直撃して8日に出発ができず、4日間の予定が3日間になってしまった。なので恐らく1周は無理だと思われるが、高知や愛媛といった遠めのところはきっちりと行っておきたい。
 朝、出発したのは通勤時間帯。もう少し早く出る予定だったが、いつまでたっても朝が弱いのは治らない。最近のツーリングでは初っ端から時間が押しているというのが恒例のようになっているので、ちょっとヤバい。
 いつものように第二神明北線から明石海峡大橋へと入り、神戸淡路鳴門自動車道を南へ。今回は目的が四国なのでそのまま徳島まで突っ切ってもよかったが、なんとなく大鳴門橋を淡路側から見たかったので、一旦高速を降りて大鳴門橋記念館へと向かった。ここは、淡路島へと来ると何故か寄ってしまう所で、淡路島西南端のランドマークみたいものだ。さすがに、開館時間前でもあるし平日ということもあって閑散としていたが、遠く霞む大鳴門橋と四国、そして鳴門海峡の眺めは清々しい。
 朝の空気を十分満喫し、大鳴門橋記念館出た後は再び神戸淡路鳴門道に戻って大鳴門橋を越え、四国へと入る。徳島は今年の春先、というか冬の終わりに訪れているのでウロウロせず、国道11号線と国道55号線をひたすら真っすぐ進んで市街地をスルーし、更に阿南バイパスへと入ってどんどん南下していく。ここまではうまく渋滞も回避できたようで順調だ。もしかすると、もともと渋滞がそれほど酷くないのかも知れないけども。
 阿南バイパスを終点で突き当たると、右に折れて国道55号線の本道に入る。さすがに、ここから先は対面2車線で広くもないので、スイスイと走れなさそうと思っていたら、いきなりダンプにつかまった。前が見通せないのはともかく、ダンプは砂やら埃やらを舞い上げるし、後ろについていると最悪。そのまま、どうにかならんかと思いながら数kmほど走っていると、軽い上り坂のコーナーを抜けた先にオレンジのセンターラインが途切れているのを発見した。ここは谷を抜けるような感じで、下って上る直線が数100mあり、この区間だけ見通しが良い為か、追い越しできるようになっているらしい。ここを逃すと、またしばらくダンプの後ろについて走らなあかんし、ここは一気に抜くべきやと、リッターバイクの力を存分に発揮させて追い越したその時、白い棒を持った制服姿の彼が登場した・・・。
 しかし、あれは完全に罠やな。あそこだけ直線で、追い越しできて、しかも最初は下り。スピード出せと言わんばかりや。さぞ営業成績も良い場所なんやろう。歩行者が歩くなんて考えられないあんな田舎な所で、しかも安全な直線で張ってるなんて、違反防止の頭は全く無くて捕まえることしか考えてない。まあ、制服が見えた瞬間に出してたからしゃあないと悟って怒る気もなかったけど、警察に協力する人が年々減ってるっていう話も解る気がする。取り締まりは否定せんけど、悪質なヤツほど取り締まりや摘発を逃れてるってイメージがあるし、いかにも実績を上げる為だけの取り締まりというのが見え見えだと・・・ね。
 気を取り直して国道55号線を南へ下って行くと、左手に天守らしき建物が見えてくる。日和佐城だ。駅前の道を適当に左に折れて城を目指すが、川を越える橋や海際の道は明らかに私道のような感じで、城の方向に向かってはいるものの、いきなり行き止まりになってそうで嫌な感じ。でも、恐る恐る徐行で進んで行くと確実に城に向かって山へ入っていく道というのが判ったので、少し安心してそのまま進むと、無事、城に着いた。
 日和佐城は、歴史上あまり有名とは言えない城で、当時は小城だったらしいが、今は分不相応な天守閣兼資料館が建っている。まあ、城っちゃ城なんだが、こうあからさまに模擬の城だと入る気が失せてしまう。昔は天守があったというぐらいのそこそこの城なら入る気もするけど。そんな感じなので、模擬天守を横目に城の周辺に当時の遺構が無いか散策してみたが、残念ながらこれといった遺構は無い感じだ。もしかしたら資料館や駐車場造成の際に破壊されたのかも知れない。模擬の城を建てるのに、本物の城の遺構を壊したなら本末転倒もいいとこだが、どうなんやろう。
 日和佐城からは、来た道とは反対方向の学校横の道を南に走って再び国道55号線に戻り、室戸岬目指して南下して行く。この先には、長宗我部元親の阿波攻略戦でも出てくる海部城宍喰城があるはずだが、それほど有名な城ではないだけに、案内表示が出てくるか心配。そうこうしている内に牟岐を越え、海南市街に入ってきた。地図を見る限り、海南と海部は市街地が続いているらしい。この辺りはさすがに日和佐よりは都会だが、走りながら辺りを見回してみても、城があるっぽいそれらしい小山や城を示す案内表示は見当たらない。海部に入ったらなんか案内があるんかなと思いつつ海部川を渡ると、あっという間に市街地が無くなった。マジで?と思いながらもどんどんと車の流れに乗ってしまっていたので離れて行き、あっさりと山を越えて海が見えてきた。もっと大きな街かと思ったが、まさかあんなに市街地が小さいとは。イメージ的には海南と海部が同じぐらいで海部川を挟んであるのかと思っていたが、海南がメインで海部はそのオマケという感じ。自分の中では海部の名前のほうがずっと大きいのに。
 海部を越えるとすぐ宍喰に入る。ここは海岸沿いでは徳島の南端で、ここを越えるとすぐ高知県だ。できれば城を探しつつそろそろお昼にしたいが、ファミレスなんかがある雰囲気ではなさそう。とりあえず城を求めて国道55号線からはずれ、宍喰の市街地を回ってみたが、城に関する案内表示や、昼飯が食べれそうなファミレスもなかった。まあ、室戸岬は観光地やからなんかあるやろうし、先を急ぐとするか。
 徳島と高知の県境を越え、室戸岬が近付いてくると、風の為か、打ち寄せる波が細かい飛沫となって舞い、先のほうが霞んで見えた。なんか北海道の襟裳岬もこんな感じで、初めて来たはずなのに懐かしい感じがする。ただ、北海道も夏だったが、あの年は冷夏で、秋の気配が僅かながら見え始めているこの時期よりも多分寒かったと思われ、この情景よりはどことなく寒々しさが漂ってた気もする。
 室戸岬は、国道55号線を走っていると、キツい目のコーナーの途中に突然現れるようにある。海際まで山が迫っていて、灯台がその背後の山にあるので、岬の先端というよりもただの海岸という感じがするが、海際に立つ中岡慎太郎像が印象的。坂本竜馬像と同じで、これを見ただけで高知の海に来たという実感が湧く。普通に岬へ観光に来た人は、坂本竜馬は知っていても歴史好きじゃなければ中岡慎太郎という名前すら知らない可能性があるから、恐らくそんな感覚はないと思われるが。
 室戸岬にガッツリ食べれるような店が無かったので、そのまま国道55号線で高知へ向かいつつ、食べれそうな店を探したが、これがなかなか見つからない。観光客を相手にするような、いかにも「高知の海の幸を堪能できます」みたいな店は、経験的に値段の高い割にそれほど美味しくないイメージが付いているので、あんまり御当地の食べ物なんかに興味の無い自分としては、単なるファミレスのほうが嬉しい。ファミレスはファミレスで、東北のほうにしかない店や九州だけ異常に強い店なんかがあるし、メニューに地方色がないとは言っても、大手のものとは少し違う品があったりして結構面白い。でも、国道55号線沿いにはファミレスが無く、時間だけが過ぎていった。多分、高知からの主要な道は高速道路と国道32号線で、この55号線はメインじゃないんやろう。高知から他の3県に行くには県境が集まっている四国の真ん中へ抜けたほうが便利なのは確実で、しかも昔ほど山っていうのが交通の阻害要因にならんしね。55号線が海沿いの良い道っていうのは間違いないんやけど。
 結局、昼飯は田野駅前のコンビニで弁当を買って、高架下で食べた。もう少し先の安芸になら何かありそうだが、行く予定にしている安芸城は少し山を登るようだし、食べてすぐというのはちょっとという感じで、奈半利に入ったところで時間的にも場所的にもここらへんが限界やなという感じだった。まあ、昼飯を食べ損なってコンビニ弁当っていうのは、自分のツーリングではよくある光景だ。弁当を食べていると、カブに乗ったおじいちゃんが「タイヤ太いなあ」と声を掛けてきた。おじいちゃんも昔はバイクであちこち行っていたらしい。やっぱりバイクで旅してる人間を見ると懐かしいんやろね。
 昼飯を済ませ、国道55号線を更に西へ向かうと、すぐ安芸市街に入った。安芸市街で目立つのは野良時計と土居廓中の文字で、これ以外に観光資源は無いというぐらいだ。安芸での目的地は安芸城だが、江戸時代には城は無かったらしいので、恐らく土居というのが統治の中心だったと思われ、安芸城の情報も何か転がっているだろう。取り合えず土居廓中という案内の指示に沿って国道を右折すると、交通量が少ない田舎の道だった。やっぱり車の少ない田舎の道はのんびりと走れていい。今日は天気も良いし、なおさら気持ちが良い。そんな感じでバイクを走らせ、安芸川沿いの県道からスッと集落へ入ると、すぐ目の前に堀と石垣の桝形が見えてきた。これは土居という名が付いているが、明らかに城の構えだ。
 バイクを止める場所が無かったので、安芸川沿いの駐車場に戻ってバイクを置いてから、徒歩で土居廓中を散策する。集落の中は現代風に建てかえられている家が割と多いので、武家屋敷という重厚で古色を帯びた感じはしないが、通路の狭さや建物の並び方などは、いかにも昔は武家屋敷町でしたという感じの雰囲気を漂わせていて、なかなか心地よい風景だ。その中心の土居は、桝形のある門の付近だけが石垣で、あとは土塁だったが、十分に城郭の重厚感がある。土居の内部には資料館が建っており、そのひとつの安芸市立歴史民俗資料館に立ち寄ってみたが、安芸城を本拠地にした安芸氏についての資料はほとんど無かった。結構楽しみにしてたんやけど、ちょっと残念。でも、江戸時代に安芸を領していた五藤氏に関する展示は充実していて、五藤家の家宝で、主君の山内一豊が朝倉家臣三段崎勘右衛門に顔を射られながら討ち取った時の顔に刺さったという鏃が展示してあって、感動した。
 安芸氏が本拠とした安芸城は、この資料館の向かいの小山にある。標高は多分50mもない。ぼちぼちと山を登っていくと、途中にも幾つか郭の跡と思われる平坦な場所があり、山頂に主郭部分がある。ただ、規模はそれほど大きくない、というよりは小規模といったほうがいいぐらいで、地方の一国人の居城と考えればまあ妥当なところか。長宗我部元親が四国を切り従えて有名になったので、初期の頃の宿敵だった安芸国虎も名が通っているが、勢力としては一郡の主にしか過ぎないわけやし。ただ、元親に攻略されたときに毒が投げ込まれたという井戸が麓にあるので、安芸氏時代から麓まで城郭化されていたのは間違いなさそうやから、城全体を考えると小さいというわけでもなさそう。
 安芸から再び国道55号線を西へ向かって淡々と進んでいく。次に目指すのは、今日のメインディッシュのひとつ、岡豊城だ。だが、安芸市から西の国道55号線はあまり流れが芳しくない。スイスイ走れるイメージやったけど、さすがに高知の中心部が近いとそうは行かないらしい。
 岡豊城のある岡豊山には、高知県立歴史民俗資料館が中腹にあり、その後背に城がある。到着した時間は4時を過ぎたところ。これから城を回っていては資料館に入れなくなるので、資料館を見学してから城を散策することにした。博物館内は有史以前の古代の出土物から近世まで満遍なく網羅されていて、さすが県立博物館というところか。〜城博物館とかの1つに特化した博物館もなかなか深くて面白いが、県立の博物館はどの県もいろんな分野を網羅して展示してあるので、これまた面白い。だからついつい各県の県立博物館を訪れてしまう。
 博物館の受付で博物館発行の長宗我部氏に関する本があったので、まぁいっかと衝動買いして、すぐ背後の岡豊城へ向かう。1郡の主から四国をほぼ統一した長宗我部元親の居城だ。
 夕刻が迫る中、あちこち散策したが、城自体は規模が大きいといっても想像したよりは小さかった。確かに、元親はどちらかと言えば攻めの一手で各地に進出して行き、土佐統一後は徳島池田の白地城を出兵拠点としたので、城の拡張整備や城下建設は後回しにしたように思う。秀吉に敗れて土佐に戻されたあとは、今の高知城の場所にあった大高坂城や浦戸城を近世城郭として整備したので、中世的な雰囲気が強いのも、あくまで黎明期、勢力拡張期の城だから当たり前か。ただ、石垣というよりは石積みと呼ぶほうがしっくりくる遺構などは明確に残っているので、古城という意味では散策のし甲斐がある。
 岡豊城を散策して下りてくると、夕焼けの時間に差し掛かろうとしていた。これはちょっとヤバい。今日中に高知城まで回りたかった、というよりもそれが2つ目のメインディッシュなわけだが、もう市街地が混む時間に差し掛かってくるし、日没に間に合わないかも。岡豊城に着いた時点で時間的に天守閣の登閣は諦めていたけど、せめて城内だけは散策しておきたいのだが。
 岡豊城から高知市街へは北から入る道になるが、この道がまた予想通りに渋滞する。あれよあれよという間に陽が沈んで行き、なんとか高知城に着いた頃には完全に陽も沈んでいた。でもまだ夕闇迫る中、暗くなりきっていないので、頑張って高知城を散策する。
 城の城門のところには土佐藩祖山内一豊の像、そして城内には黄金10枚の名馬と一豊の妻の像が。やはり藩祖の存在感はそれなりにあるみたい。しかし、戦前の教科書には黄金10枚で馬を買う話が載っていたらしいが、戦後生まれの自分は学校でそんな話を聞いたこともない。「功名が辻」を読んだから知ってるけど、ほとんどの観光客の人は知らんやろね。山内一豊は一応一国の主になったんやから家康にはそれなりに評価されていたはずやけど、戦国時代当時でも存在感は薄いし。まあ豊臣政権では土佐は10万石弱やったから、掛川の5万石から倍増って考えたら、東軍に味方した外様大名としては特別な加増でもないし、家康もぼちぼちの評価しかしてなかったんかもね。
 高知城の天守は当然ながら登れなかったので、また来ることを期して高知城を出発。辺りはすっかり真っ暗。高知城から出てすぐにはりまや橋があるが、燦然と日本三大がっかりだったかに選ばれている名所もこの暗さではよくわからない。めっちゃがっかりしたかったのに!というのは嘘で、実際あんまり興味はないんだが、ともかく高知市街から南へと走る。高知市街から桂浜へ向かう道は5年前に来ているので懐かしい。今日予定している宿は、桂浜近くの健康ランド。県道34号線を海に突き当たった辺りにあるはずだが、見当たらないので、桂浜方向に走ってみる。だが、見当たらない。桂浜のパーキングのおっちゃんに聞いてみたが、健康ランドは知らないという。ん?このパターンは諫早と同じか?パーキングのところの電話ボックスから電話を掛けてみるが繋がらない。・・・これは確定やな。電話帳にも番号が載ってるからつい最近の閉店か。諫早のことがあったから事前にネットでも調べたのに、なってこったい!頼むから閉店したらネットもクローズしといてくれよ・・・。もう一度気力を振り絞って県道14号線を西へ走ってみたが、5kmぐらい走ってもそれらしきものがない。・・・寝袋を持ってきてないし、今晩どうしようか。
 その時、民宿坂本の字が目に入った。とりあえず掛け合ってみるしかない。バイクを止めて直に訪ねると、お遍路のおばちゃんが泊まるからうるさいと思うけどいい?と聞かれたが、こちらとしては泊めてもらえるだけでありがたい。こうして民宿坂本にお世話になった。いや〜、風呂にもありつけたし、言うことなし。この坂本の名字が竜馬の坂本と関係があったら面白いのになと思いながら、おばちゃん達のおしゃべりを耳栓という強い味方で封じて床に就いた。
走行距離 376.32km

9/10
 今日の天気は、予報では良くないようだが、完全に雨というわけでもないらしい。午前中は降られるかもしれんけど、それまでにできるだけ回るところを回っておきたい。
 民宿の女将さんが、どうせどこかで朝ごはん食べるならウチで食べていきと声を掛けてくれたので、民宿で朝食を頂き、御遍路さんのおばちゃんらとほぼ同じ時間に出発した。とりあえず回るのは桂浜周辺の坂本竜馬像浦戸城
 昨日、暗い中を彷徨った県道14号線から桂浜へ。浦戸城跡は今、坂本竜馬記念館の敷地になっているらしい。天守跡といわれる場所に小さな社と、そのやや下に石垣が残っていた。しかし、高知は幕末のものが多くて戦国のものが少ない。四国の覇者やねんから長宗我部さんももうちょっと売り出しても良さそうやのに。
 浦戸城に寄った後、坂本竜馬像や桂浜の一帯を少し歩いていると、雨が降り出してきた。今日は長丁場になりそうだ。そんな中、散歩中の土佐犬がいた。この犬は闘犬センターの犬かな。まさに戦士の休息やなと写真に収め、バイクに戻った頃には本降りになっていた。カッパを着込み、県道14号に戻って西へと走る。県道34号線との三差路付近は、長宗我部元親の初陣となった長浜合戦の場所で、いろいろと像やら何やらあるらしいが、この雨ではとても散策する気にならない。しかし、今回新調したカッパはなかなか高性能や。撥水はもちろん、体が蒸れにくい。
 海沿いの県道14号線をひたすら進むと、やがて川沿いになり、国道56号線にぶつかる。国道56号線に入って西へ進んでいくと、突然城山公園の小さな案内が目に入った。1回目はおっと思った瞬間には過ぎていたが、もう1回案内表示が出てきたので、これは神様が行けって言ってるに違いないと勝手に納得して左折した。城山公園への入口はすぐのところにあったが、バイクを止めるところが無かったので、ちょっと先に置いてから徒歩で公園に登ると、公園の一番高いところに城址碑がある。ここまで来て、ようやくこの城が蓮池城だということが判った。おぉ、土佐七雄だか七人守護だかの城やん。
 とりあえず一番高い場所の東屋でカッパを脱ぎ、一休み。雨の中、おばちゃんが公園の清掃をしている。ほんまご苦労様やね。公園の案内図を見ると、城の縄張がそのまま公園になっているようだ。高低差が有り、結構立体的な公園というのも面白い。子供達は登ったり下りたりで、鬼ごっことかは楽しいやろね。しかし、これだけ元の形が尊重されてると、公園化で視界も広いから構造が解りやすいし、これは当たりやったな。さすが神様が行けと言っただけある。
 蓮池城で休憩している間に雨が小降りになってきた。なかなか良い感じ。国道56号線を西へ向かうと、すぐ須崎に入る。ここにも城があったはずだがと、須崎の駅に行って周辺の詳細地図を確認すると、国道と線路の間にデンと聳える山が城山というらしい。須崎城があるならここしかない。駅の正面はほぼいきなり崖なので、市街地方向に回って山の近くを走っていると、山へ入る道を見つけた。バイクを止め、カッパを脱ぎ、テクテクと山道を登っていくと、遊具のある小さな公園がある。これは郭の跡かも。そこから段々状になっていて、突き当たりに小さな社があるが、その後ろは山道があるような無いような感じ。台風後というのもあって倒木などが酷く、進める道ではなかった。
 須崎は商人の町やったから昔は運河やったんかなと思いつつ市街地の小川沿いを走って再び国道56号線に入り、西を目指す。ここからは久礼、窪川、中村、宿毛と寄っていく予定だが、地図に城の印が付いているのは久礼と中村だけ。城跡を発見できるかどうかは神のみぞ知る、というところか。いや、大げさやな。
 須崎を出て15分ぐらいで久礼に到着。街ではなく町で、うっかりしてると一瞬で市街地を過ぎてしまいかねないぐらい。地図には久礼城の印が付いているが、手持ちのツーリングマップルはあくまでツーリングの為の地図なので、小さな町の細かいところが判るわけもなく、いつものように駅の案内板が頼りだ。でも、駅に行っても城の文字が見当たらない。どうしたものか。地図からすると、どうやら中学校の背後の山の辺りに城があるらしいが、周辺をぐるぐる回ってみても城への登山口らしい案内は見つからなかった。念のため、中学校の校門のところに行くと、そこに久礼城の文字が。やはり学校の裏山に在ったらしい。でも、城があるからといって校内に入るわけにもいかず、これは無理やなと思って帰ろうとすると、中学校に用事があったと思われる軽トラに乗ったおばちゃんに声を掛けられ、わざわざ役所の知り合いにまで電話をしてもらって、中学校の後ろの山に城があるというウラが取れた。おばちゃんはどうぞどうぞと言ってくれたが、最近学校も物騒になってる中で部外者がウロウロするのも気が引けたので、結局校門の説明板だけ写真に収めて退散した。
 久礼を出て国道56号線を更に西へ進むと、海沿いから内陸へと入って窪川の町に出る。信長の野望に窪川俊光という、ほとんどの人が使えないと判断する武将がいるが、彼の故郷がここ窪川だ。使えないといってもゲームでは立派にレギュラーを張っているので、決して勢力の小さい武将ではなかったはずやから、熱心な地元の保存会なんかがあれば城はたやすく発見できる!というような甘い目論見で窪川に来てみたが、そんな甘い考えは簡単に打破されてしまった。自分のイメージよりも窪川の市街地は意外と小さく、あれっと思ったら市街地が終わっていた。当然、国道沿いに窪川城の表示なんかも見当たらず。もう1度引き返して駅なんかにも行ってみたが、見当たらなかった。しょうがないので、見つけた本屋で今回用の新しい地図を買って窪川を後にした。
 窪川を出て国道が海沿いに戻ってくると、ほどなくして中村に着く。今日のメインディッシュは中村城だ。前回来たときはもう夜の7時で、まして先輩や後輩と一緒だったので行けなかったが、今回は一人旅なんでじっくり回れる。
 まずは懐かしい中村駅前の市街地を横切って四万十川の堤防へ。前回来た時は、街灯の無い四万十川沿いの道でスモークの入ったメットやから視界が暗闇の世界になりかけてるのにうっかり先頭になってしまって後ろの車のプレッシャーと戦いながら初見の道を目視半分勘半分でひたすら南下した記憶しかなく、ちゃんとした四万十川っていう風景を見たかった。まあ、河口部分は他の大きな河と大差ないんやけど、あの必死なイメージが頭に張り付いてるのもなんだかねぇ。というわけで記憶のリセットと上書きや。
 四万十川の堤防から為松公園の裏手に回って、山を登ると中村城の天守が迫ってくる。観光ポスターではお馴染みやけど、これは模擬の天守で、中身は資料館となっている。まぁ裏手から攻めるってのが俺らしいっちゃ俺らしいけど、それは置いといて、ぶらっと僅かに残った石垣やらを見て回って模擬天守まで来ると、休館の文字が。改装中らしい。建物自体は模擬なんで興味ないけど、城に関する情報は見たかったな。
 中村市街で遅めの昼飯を腹に入れ、足摺半島をショートカットする国道56号線に別れを告げて国道321号線から先っぽを目指す。高知の西南の端、それが足摺岬。先輩らと高知に来た時は、先輩らは昼間に来たらしいが、自分だけはバイクの故障で出遅れて間に合わず、先っぽハンターとしては非常に無念だった。
 国道321号線を土佐清水で突き当たって左が足摺岬への道。さらに途中から海沿いの県道と尾根道の足摺スカイラインに分かれる。ここは、行きは尾根道の足摺スカイラインで行って、帰りは県道で帰ろう。足摺スカイラインは、アップダウンが激しく、コーナーも多く、しかも片側1車線がキープされている快走路だ。だが、この日は運悪く霧が出ていて見通しが悪い。そして、霧の水滴が体にまとわりついてきて寒い。しかも半ウェットの路面とおろしたてのタイヤで、あんまり攻め切れなかった。
 スカイラインを抜けて足摺岬の灯台に着いたが、ここもなんだか若干モヤってて、雲行きの怪しい空と相まってまさにどんよりという感じ。なぜか南国の岬というよりは晩秋の北国の岬という感じの寒々しい雰囲気が漂ってるのは気のせいか。この岬にはジョン万次郎こと中浜万次郎の像があった。高知には、中央部の桂浜に坂本竜馬像、東の室戸岬に中岡慎太郎像、そしてこの西の足摺岬には中浜万次郎像があるわけだが、土佐人は立像が好きなのかも。この人は、政治的な色合いが無かったので幕末史では地味な存在だが、災難だったとは言え、ネイティブな英語をこれほど浴びた人物はいないので、密かに文献などの翻訳では最も貢献した人ではなかったかと思っている。ただ、坂本竜馬の像や昨日寄ってきた中岡慎太郎の像に比べたら地味で、自分も来るまで像の存在を知らんかったし、本人の活動の仕方と立像の認知度に相通ずるものがあるのはなんだか面白い。
 足摺岬からの帰りは県道で海沿いを帰ったが、この道はやたら整備されてる部分と、旧道、というより田舎の集落の生活道路とも言うべき部分の落差が激しい。自分の前を走っていたのはトラックだったが、1台で道幅ギリギリやんっていう部分が数多くあった。早く道整備してもらわんと住んでる人は大変やろね。
 休憩ついでに、東西の岬が見えるんちゃうかと期待して叶崎に寄ってみた。叶崎灯台までの遊歩道には、人ひとり分の幅しかない上に転落防止用の柵もない場所があった。こんな所から落ちたら当分発見されへんやろね。お〜怖。バイクに戻ってきてふと目をやると、道沿いの休憩場所には酒盛りの跡が。いやいや、こんな辺鄙なとこに来てまで酒盛りせんでもと思ったが、土佐人にとってはビールなんてミネラルウォーターみたいなものかと思ってみたりもする。確か酔って道に寝てて轢かれる人数が一番多い県じゃなかったっけ。
 高知の西端で、愛媛との県境にある宿毛にもがあったはず。そう思いながら国道321号線から左折して国道56号線に戻ると、あっちゅう間に宿毛市街から離れ、引き返すタイミングも掴めないまま山の中へ。国道には城の案内表示も無かったし、窪川と同じパターンか。給油する間も無かったやん。しかし、高知って結構戦国期の城は放置されてるなぁ。もうちょっと案内板とか整備しても良さそうなものやのに。
 国道56号線で今日の宿泊地の宇和島に向かうが、津島では高校生の下校時間とカブって押しボタン信号押されまくりの渋滞に飲まれ、宇和島市街を間近にしての渋滞にも巻き込まれ、予想以上に時間が掛かった。地図を見ると、あんまり宇和島市街地に入っていく道路が無い。長崎もこんなんやったな。陽はもう落ちかけてるけど、まぁここまで来ればすぐやし、今日は早めに宿に着けそうや。昨日のどたばたから比べれば上出来上出来。
 宿は丸の内の民宿三原。宇和島城すぐそば、っていうか住所が丸の内やから江戸時代は城内やったはず。明日の快調な出だしが約束されたようなもんですな。晩飯のデザートにメロンが出たけどスプーンが無かったというのはご愛嬌。女将さんがどっか行って帰ってこんからかぶりつきましたとさ。
走行距離 308.16km

9/11
 今日は第1目標がすぐそばなんでゆっくりめの出発。9時にならんと天守閣に入れんしね。とか思っていたら女将さんとの話が意外に長くなってしまって、出発予定時刻を1時間ほどオーバー。女将さんの子供さんが車を全損した話とか高校野球の話が長引いた。こっちは、高校球児がお兄さんの時は興味があったけど、自分がよりお兄さんになってからはほとんど見てないんやけど。っていうか、○年前の□□高校の△△って言われても、関西の人間やからもし自分がよく高校野球見る人でも分からんと思うんやけどね。とにかく、四国は野球が熱いってのはよく解った。
 遅くなったので手早く荷物をまとめ、宿を出発し、最初に目指すのは宇和島城。距離的には宿から徒歩でも十分に行ける所で、1分ほどバイクにまたがっただけで到着した。宇和島城は、天守のある山を中心に麓の郭に重臣の屋敷を配置して海に面していたらしいが、今は埋立てで海から離れており、当時の建物も天守閣と上立門だけが残っている。山頂の天守閣は平和な時代に建てられたからか、なんだか模擬の天守みたいで重厚感に欠けるが、その分、他の天守よりも綺麗な外観となっている。個人的には無骨な城が好きなんやけど、あまり詳しくない観光客とかには、こっちのほうが受けがいいんかもしれへんね。
 宇和島からは、昨日もさんざん走った国道56号線北上して行くが、宇和あたりに入ってきたところで急に雲行きが怪しくなってきた。この宇和の辺りで西園寺氏所縁の黒瀬城を探したいが、雨が降ったらどうしようもない。とりあえず降らんうちに駅へ行くかと卯之町駅に行き、黒瀬城の案内や観光パンフレットなんかを探したが、残念ながら黒瀬城に関しては全く手掛かりが無かった。あるのは開明学校ばかり。そうかここの一級観光資源は開明学校かなんて考えてたら、今度はあれよあれよという間に雨が落ちてきた。まだパラパラだったが、どす黒い雲が南から迫ってきてる。今出とかないとこれは出るに出れなくなると、黒瀬城を諦め、早々に北へ向かった。
 卯之町からは黒い雲との追い駆けっことなった。信号に引っかかれば雨が落ちてくるが、しばらく走ってると小降りになったりやんだり。福井の九頭竜川沿いを走ってる時もこんな目に遭ったな。あの時は東尋坊に着いた途端に風が強くなって観光船が運休し、そしてすぐ土砂降りになったっけ。嫌な前例やな。急がねば。
 そうこうしてるうちに15kmほど走って大洲に着いた。雨はパラパラ止まりだったとは言え、15kmも降ったり止んだりの道を走ってると上着はぐっしょりと濡れている。でもこの季節ならすぐ乾くやろう。この大洲には大洲城がある。佐田岬に行った時なんかにも通過はしたが、行きたいと思いつつこれが初めての訪問。しかもこの春に木造天守閣の復元が完成したらしい。知らんかったけど、絶好のタイミングやな。どうりでやたら人が多いと思った。
 大洲の城は、復元された天守が目玉になっているが、もともと4棟の櫓が現存している。復元天守も、両脇の2棟の櫓が現存しているから復元しようという機運が盛り上がったんちゃうかな。天守閣はやっぱり附櫓や小天守があってこそ映えるっていうもんや。
 大洲城天守を見学している間に、ずっと追いかけられていた雨雲がやってきて雨を降らせたが、濡れることなく、天気もすぐに回復した。天気はもう大丈夫やろう。大洲を出たのはちょうど12時。予定より少し遅れてる。でも大洲より先の国道56号線は流れが悪く遅々として進まない。
 大洲から程近い内子も古い町やから、戦国時代には何らかのがあったはずと地図を眺めていると、龍王の砦という字を発見した。この砦は遊戯施設の名前みたいだが、周辺が公園になってるようだ。経験上、山の上の公園が城跡だったということはままあるので、訪れてみる価値はある。幸い国道からすぐやし、何も無くてもすぐ戻れるしね。公園入口の交差点を1回通り過ぎてしまったので、Uターンで戻ってから曲がり、公園への急坂を登って行く。完全な山やし期待できそう。しかし、龍王の砦を訪れてみると、城跡らしいものは何も無かった。ただ、望楼のような龍王の砦からの眺めがびっくりするほど良かったので、これはこれでなんか得した気分。弁当を食べていたカップルに気付かず大声の独り言を聞かれたのは恥ずかしかったが、良い眺望だけを記憶に留めてそのことは消去しておこう。いや、消去しておくべき、いや、絶対消去しなくてはならぬ。
 龍王の砦から国道56号線に戻り、次は松前城を目指して走るのだが、時間が予定よりも押しているので松山道を使おうと内子五十崎I.C.に向かうと、先に対向車線から大分ナンバーのツーリンググループが入っていった。グループに続いてチケットを取り、路肩で全員揃うのを待っていたグループに軽く挨拶をして松山方向へ入ると、そのグループも松山方向に入ってきた。ソロツーリングの時にグループのケツについて一員の振りをするのはよくあるんやけど、逆に後ろにつかれるのはちょっとプレッシャーやな。
 松前城へは伊予I.C.で下りるんだが、伊予I.C.と言えば、先輩らと行く予定やったのに故障して出遅れたツーリングの事を思い出す。松山道がまだ伊予I.C.までしか開通してなかった頃やね。あの時は1日遅れて次の日の昼から出発したが、ようやく伊予に辿り着いた時に、この先はずっと下道で時間掛かるやろし、夕暮れ近いし、シフトペダルの先っぽ無くなってるし、どうしようかと思った。まあ何とか中村まで辿り着けたから良かったんやけど、懐かしいね。
 伊予I.C.で松山道を出て国道56号線に戻り、海沿いの県道22号線で少し北上すると、臨海部の化学臭漂う工業地帯の中に松前城がある。厳密に言うと、城の遺構はほぼ無いので、松前城跡というべきだろう。実際に城の碑が建っているところは土盛りがあるだけで、しかもその土盛りも城の機能が失われてからかなり経った後に整地された際の残土だというから、城と直接関係ないし。まぁそんなこんなで紛れもない「跡」なのだ。でも、残土の築山であっても、土盛りがあるとなんか歴史の重みを感じるような気になるから不思議やね。古墳とか塚とか櫓台跡とか、ちょっとした土盛りにいろんな想像を働かせてきた条件反射なんやろうか。
 松前から次の松山城はかなり近い。伊予鉄道沿いの道を真っすぐ走るだけで到着する。ちょうど堀のところの信号で止まっていると、前を大分のツーリンググループが横切っていった。彼らもここへ来る予定やったんか。でも伊予I.C.で降りた自分と同じということは、どこか寄ってきたんかな。あの道やとロープウェイで登るんやろね。でも自分はひとりでロープウェイというのもアレなんで足で登るけれども。
 バイクを止めて工事中のニノ丸の横から松山城に向かって山を登って行く。麓から見上げた時に想像よりも高いなぁと思ったが、流石に有名な城なので道が整備されているし、登りやすい。ただ、9月なんでまだまだ暑く、すぐに汗だくになってしまう。そして、この汗がまた疲れを助長する。でも、城の入口が見えた時に疲れは吹き飛んだ。重層的に重なる石垣や城門、そそり立つ石垣の上にある櫓。入口は同じ黒壁の熊本城よりも狭く険しい。入口を抜けると一転して広い空間が広がっているが、天守のある本壇に入ると再び内部は複雑に曲がりくねっている。江戸時代に建てられたというのに、なんという無骨さ。天守が建て替えられているとは言え、秀吉の幕下で叩き上げた加藤嘉明の人生が凝縮されているようだ。
 松山城に登った後、今日中に今治まで行きたいので、すぐ近くの湯築城へ急ぐ。ロープウェイを使わずに松山城に登ったので、ええ加減空腹も限界やったけど、松山城の売店の坊ちゃんアイスはやたら高かったので断念し、ドリンクもスキー場価格だったので買う気すら起きず、そのまま湯築城跡の道後公園で水分だけは補給しといた。
 道後公園のすぐ近くには道後温泉と市電がある。ここに来るまでは、なんとなく坊ちゃんのイメージを持っていたが、市街地なので交通量が多く、残念ながら風情というものはあんまり無い。市街地の真ん中やから、まぁ仕方のないことやけどね。そういえば、松山城でも観光客の間で道後温泉の話題がちょいちょい出てた。土曜だけに、松山城と道後温泉をセットにしたツアーのお客さんが多いんやろね。
 楕円形の湯築城は、付近一帯が市街化してるのに、城の周りにはニ重の堀が残り、中央の小山部分もほぼそのままで、なかなか城跡としては趣がある。昔は動物園があったらしいので、表面上の遺構はかなり破壊されてるみたいやけど、発掘調査では地下にかなりの遺構が残っていた。そのおかげで史跡公園として整備されることになったらしい。湯築城の麓には湯築城資料館という建物が建っているが、これがその発掘成果を展示している所。江戸時代というか、豊臣時代には廃されていた城なのに、それ専用の資料館があるというのはなかなか大事にされてるなと思いながら見学したが、当時の城の構造や様子に関する展示が多かったので、自分にとってはかなり興味深い内容やった。しかし、なかなかマイナーな河野氏でお客さんが来るのか?というのは他人事ながら心配や。
 湯築城とその資料館を出るともう3時をかなり過ぎていた。まだ昼飯も食べてないし、今治まで高速無いし、今治は諦めなしゃあないな。しまなみ海道を1回チャリンコで行ってみたいので、その時にでも寄るとするか。
 松山I.C.に向かう国道11号線と県道33号線は流れが悪い。特に天山交差点までの渋滞が酷い。暑さと空腹で倒れるかと思った。高速直前のコンビニでサンドイッチを腹に入れてようやく一息つき、松山I.C.から徳島へ向かう。松山から徳島までは200km弱。4時やからなんとか日没までに徳島へ辿り着けるかというところ。松山道から徳島道へ抜けて、四国を横断して行くが、ここだけは何回来ても便利やなと思う。松山と徳島がほぼ一直線やもんな。
 吉野川S.A.を出てからガソリンのRESランプが点灯しだした。もう高速にスタンド付きのパーキングないっちゅうねん!タイミングが悪い。仕方が無いので、飛ばさずガソリンを節約しながら走り、阿波P.A.で地図を確認して、土成I.C.で降りて給油することにした。徳島道と神戸淡路鳴門道が繋がってないのでどこかで乗り換えないといけないんやけど、最短距離は藍住板野間。徳島と鳴門の間は、国道11号線が4車線化されててそんなに距離もないんやけど、信号が多いから時間は掛かりそう。何より車が多いのは鬱陶しい。なので藍住で乗り換えるのが一番良さげやから、本当は藍住I.C.で降りたいところ。でも、RESを点けたまま結構な距離を走ってきてるし、最悪の事態になる前に給油しとこう。土成からなら、下の道を少し走るとは言っても、辛うじて乗り換えついでの範囲やし。
 大鳴門橋を越えた頃には完全に陽が落ち、真っ暗になっていた。淡路島南P.A.の上り側にはちょっとした展望台があるので、そこから大鳴門橋の写真を撮ってみようと思ってたが、夜景ではちゃんと撮れるかどうかわからん。しかも遠景なので、撮れても橋と判るかどうか微妙やね。しかし、下り側に展望台がないのはちょっと残念な構造やね。
 いつものように淡路S.A.で休憩を入れて、明石海峡大橋のライトアップが変わる時間に合わせて渡る。もはや、これは恒例行事やな。橋を渡りきったらもう地元。やっぱり3日間で四国をあちこち寄りながら1周するのは無理があるな。今度また時間ができたら四国の北側を攻めよう。1泊2日でなんとかなるんちゃうか。 
走行距離 394.72km
合計 3日間 1079.20km

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