4/26
 去年は連休がほとんど取れなかったこともあって、ツーリングは1年半振りになる。しかも今回は記念すべき20回目のツーリングだ。心持ち気合が入る。
 久しぶりに3連休を取ることができたので、本当は金曜から旅立って和歌山と彦根を経由したかったところだが、金曜に台風から崩れた熱帯低気圧が日本列島を覆い、強風と豪雨で断念した。
 2日間となったので、今日は岸和田と和歌山を回って御坊で泊り、明日は紀伊田辺までまわってそこから北上、高野龍神スカイラインを経由して奈良を縦断し、第二阪奈からチャッチャと帰るルートに変更。問題は奈良の渋滞と、高野龍神スカイラインのバイクの数。吉野の桜の最後にあたってるし、29日と連休にしてる人もいるやろう。スカイラインはライダーにはとてもメジャーな道だけに、人出の多い日曜より土曜に行きたかったが、龍神側からのアタックなのでまだマシか。
 この日の朝、予報では快晴となっていたが、ちょっと回復が遅れているのか、やや薄曇りの天気。しかも風が結構残っている。天気とにらめっこしながら、遅めの10時半頃に出発した。いつも東へ行く時は、車の少ない阪神高速の北神戸線で行くが、今回は大阪湾岸を走っていくので、第二神明から阪神高速神戸線に入って西宮まで行き、そこから南下して湾岸線へと乗り継ぐ。ただし甲子園浜I.C.から乗ると、距離が短いのに料金所を1回余分に通ることになるので、高速の側道を1区間走って鳴尾浜I.C.から湾岸線へと入った。
 神戸線はそれほど海側を走っているわけではないのでそれほど感じなかったが、湾岸線はもとが海だったところに通っているだけあって風が強い。風が強い中を走るのは好きじゃないので、風が収まるように時間を遅らせて出発したが、風の収まる気配は今のところなかった。午後から好転してくれることを祈るしかない。
 湾岸線は阪神高速の中でも交通量が少ない方だが、それでも少ないと感じるほどではない。特に大阪側は、市街と関空とのアクセスが良いので、リムジンバスやリムジンタクシーが目立つ。高速周辺に無数にある赤白に塗られた煙突からは白い水蒸気しか出ていないのになぜか化学臭いのを感じて、やっぱりゼロにはできひんのやなぁと思いながら泉州の工業地帯を抜け、そろそろ遠目に関空が見え始めた頃、岸和田に到着した。目当ては当然岸和田城。この城は湾岸線から見えるので、関空に行く時には必ず目に入る。仕事でも何度か近くを通り、いつか行かなあかんと思いつつ、今日まで行ける機会がなかった。
 岸和田南I.C.で湾岸線を下りてちょっと北へ戻り、生駒山系へと続く東向きの道を走っていくと、岸和田城のすぐ近くへ出る。城は本丸と二ノ丸の城地を残し、復興された天守閣が建っている。僅かながらも高低差のある平山城で、城自体は室町期からあったらしいが、桃山期に改修された野面積の石垣が当時の威容を伝えている。このような城らしい形を残しているのは、大阪では大坂城とここだけではないだろうか。城フリークとしては寂しい話だ。
 天守閣と多聞櫓になっている郷土資料館に寄った後、岸和田から南へ行き、貝塚I.C.から阪和道に入る。この高速も仕事でよく通ったが、5年振りぐらいになるか。昔は覆面が多く、仕事で大阪と和歌山を往復する間に、たいてい1台か2台は捕まっていた。今はどうか知らないが、念のために用心しながら走ろう。
 阪和道を和歌山I.C.で下り、そのまま道なりに進むと和歌山城へと着く。駐車場が有料っぽかったので一旦過ぎてUターンし、岡山口の近くに止めた。この辺がバイクのいいところで、止めるところを気にしなくて済むし、何より小回りがきく。
 和歌山城は言わずと知れた徳川御三家のひとつで、吉宗を始めとする将軍も輩出している。1度中学生の頃に従兄弟と来たことがあるが、その時は早朝に着いて天守閣に入れなかった。おまけに青春18キップの鈍行の旅だったので、乗り継ぎの関係もあって待つわけにもいかず、泣く泣く立ち去った記憶がある。あれから約15年。そんな前の記憶がはっきりあるというのは歳を取った証拠だと実感する。しかし、その頃から城好きだったということは、なかなか年季の入った趣味になってきたということか。たぶん一生もんの趣味になるんやろうけど。
 和歌山城をぐるっと1周し、庭園や天守閣をゆっくり見ると1時間半ほど経っていた。まだ時間には余裕があるので、隣の県立博物館にも寄った。
 博物館も県立クラスになると見ごたえがかなりあるが、この博物館は多種多様な展示ではなく、歴史と宗教を柱にすえた展示の仕方だった。歴史好きの身としてはとても関心が持てる。
 じっくり文章の類を読んでいると、おじいちゃんと孫と思われる2人連れが自分と同じようなペースで見学していたが、こっそりと聞き耳を立ててみると、おじいちゃんの問題に孫が的確に答えている。しかもなかなか突っ込んだ問題で、まだ小学校の中学年ぐらいというのになかなかやりよる。
 博物館を出て阪和道へ戻るのだが、和歌山I.C.に行くには距離もあるし渋滞している可能性もある。どうせならと目の前の国道42号線を海南まで走ることにした。この国道も結構混んでいると思っていたが、案外と流れるようだ。学生時代にバスでポルトヨーロッパへ行った時に通った記憶があるし、その前に紀伊半島から北陸まで走った時も通っているはずだ。何となくではあるが見覚えがあって懐かしい。
 海南I.C.から海南湯浅道に入る頃には、すでに夕暮れが迫りつつある時間だったが、次の目標である湯浅城には建物類はなく、遺構を見るだけなので、ある程度の明るさがあれば充分だ。湯浅I.C.を下りると、すぐ国民宿舎湯浅城の看板が出てきた。ここは、今のバイクのデビュー戦で紀伊半島を1周した時に、湯浅にある友人の実家に泊まって風呂に入りに来た場所だ。多彩な施設がある温泉ではないが、それなりに人も少なくなかなか快適だった。この国民宿舎の名前に付けられているように、湯浅城の遺構はこの敷地の近くにあるはず。そう思って国民宿舎の前まで来た時、駐車場入口にあった大きな案内板に湯浅城跡の文字を見つけた。なんと国民宿舎のまん前の山がそれらしい。実に分かりやすい。
 意外と早くに見つかったなと思いつつ、カメラを片手に山に入ろうとウロウロしてみたが、なんと山に入れそうな道が無かった。別の方向から行けるんかなと思い直して再びバイクにまたがり、山の周りをゆっくりと走りながら坂を下ってみるが、みかん畑の入口はあってもそれらしい入口は無い。そうこうしているうちに、ぐるっと周ってもとの国民宿舎まで戻ってきてしまった。目の前にあって、しかも案内板にも載っているのに行けんとはどういうことやねんと思いつつ、もう1周してみたが結果は同じだった。仕方がないので国民宿舎の写真だけを撮り、湯浅を後にした。
 湯浅を出れば、友人のいる御坊まではもうすぐだ。高速を使うのはもったいないので、国道42号線を地道に南下していく。途中の水越峠では遅い車の後でダラダラと走らざるを得なかったので、御坊につく頃には時計は6時半になろうとしていた。住所から周辺を事前に調べていたので、友人宅のかなり近くまで行ってから友人に連絡を取り、この日の宿舎となる友人宅へと到着した。
 1人暮らしのワンルームはどこもあまり変わらない。彦根の友人宅よりはやや縦長の部屋だったが、家賃はその分、数千円高い。しかし、彦根も御坊も大阪や神戸に比べたら同じぐらいの家賃でも雲泥の差があるぐらい広い。やっぱり田舎は物価が安いなと思って友人に確認すると、都会は特売や100円ショップなどがあるが、田舎は店の選択肢が少ないので物が安くならないらしい。そう言われれば確かに国道沿いでも店が少ない。田舎だからといって、何でも安いわけではないんやね。
 とりあえず、友人の拙い運転で晩飯を食べに行き、明日は結構距離を走らなければならないので、その日のうちに就寝した。久しぶりの運転で、明日筋肉痛になっていないことを祈りながら。
走行距離 195.36km

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 この日は6時半過ぎに起床し、前日にゲットしておいたパンと紅茶を朝食にする。出発は7時半。友人の家は国道42号線から300mほどなので、家を出てそのまま国道42号線に入り、南下する。今日の第1目標である田辺には、1時間かかるかかからないかぐらいで着くだろう。しかし、日曜日の、それも結構朝早くだというのに交通量が結構あって、流れはそれほど速くない。よく見ると、泉やなにわといった大阪のナンバーが目立つ。この時間でここなら、串本や勝浦ぐらいまでいくつもりだろうか。
 田辺には予想通り8時30分ごろに着いた。城を求めて市街地をちょっと海側に入ると、恐ろしいぐらいに細い道が多い。もともと城下町だった名残だろう。バイクをそのまま何気なく進めていくと、田辺城の遺構を僅かに留める公園に出た。今日は朝から勘がさえていると思ったが、公園は川に隣接していたので、川沿いに下ればもっと簡単に着けたらしい。何のことはない、遠回りしただけのようだ。
 城跡に残っている遺構は、海城の名残を留める船入りと呼ばれる城門だけで、後は宅地となっている。遺構のある公園自体も住宅団地にあるような小さな公園と変わらない大きさで、キャッチボールするにも困りそうなぐらいだ。もうちょっと遺構が残っているかと期待していたが、地方の小城はこんなもんだろう。軍に接収されたり行政施設の敷地として使用されたりしなければ、民間にとっては整地された好条件の土地に過ぎない。
 田辺を出発して北上し、すぐに給油をしてからいよいよ山道に差し掛かる。この県道29号線というのは2車線あって、整備されたなかなか良い道路だ。途中、奇絶峡のダイナミックな風景に休憩を入れたが、それ以外はほとんど走りっぱなしで龍神に向かうと、だんだんと標高が上がるにつれて気温が下がっていくのを肌で感じる。春といってもまだまだ気温の高くないこの時期では、標高が高くなると、指先の出た夏用のグローブではもたないらしい。指先の感覚がどんどん冷えて鈍くなっていくが、ようやくバイクに乗れてきだしたところで、しかも信号も対向車も前を行く遅い車もないこの道で止まってしまうのはもったいなく感じられ、バレーボールで突き指した左手薬指の腫れが、九州の時のように嘘みたいに引かんかなと勝手なことを考えつつ、道の駅龍神まで休憩しなかった。
 まだ朝早いということもあって、道の駅はそれほど混んではいなかったが、徐々に増えつつある感じだ。土産を買うつもりはなかったが、昨日地元の友人に和歌山にいることがバレたので、仕方なくここで買って帰ることにした。
 道の駅を出発すれば、いよいよ高野龍神スカイラインに入る。グローブも指が隠れる雨用の物に換えてせっせと坂を上っていくと、小さな料金所が見えた。料金はどうやら一括ではなく、龍神側と高野側で徴収しているらしい。料金を払ってスカイラインに突入すると、それまでの道よりややバンピーな感じである。有料やのにどういうことやと思いつつ、リッターバイクのトルクを存分に実感できる上りで、調子に乗ってアクセルを開く。このバイクになってから、ダウンヒルは取り回しが重くエンブレも弱いので苦手になったが、逆に上りはトルクフルな感覚が味わえて好きになった。しかもこの道は2車線あって、対向車の心配をしなくてもよいのが素敵だ。
 坂を上りきったところで、ごまさんスカイタワーが見えてきた。まだ休憩してからそれほど時間は経っていないが、記念なんで寄ってみることにした。駐車場に入ると、7人ぐらいの集団と5人ぐらいの集団、それから2人のライダーの3グループが止まっていた。ここまでアメリカンのバイクを1台抜いただけで、すれ違うこともなかったが、やっぱり高野側からは結構な数のライダーが来ているようだ。
 山頂で気温が低い上に昨日からの風が止んでいないこともあって、スカイタワーの駐車場はかなり寒かったので、素晴らしかった周囲の山々の景色だけを写真に収め、さっさと出発して高野側へ走っていくと、さすがにすれ違うライダーの数が多い。中には明らかにサーキットに行ってますよというスピード集団もいたが、時間がまだ早めなので、これからがオンタイムというところだろうか。そうこうしてるうちにミラーに2台のバイクが映ったので、左端によって道を譲る。しかし、何故か抜いていかないので、そのままコーナーを4、5回過ぎてから、直線に入ったところでちょっとスピードを緩めて抜いてもらった。抜いてもらいつつ、その2台の後を1kmぐらい追っかけたが、ツーリング中にキレる例の先輩よりは遅い感じで、頑張れば付いて行けるレベルだった。コーナーのRがわかっていれば、あれぐらいがちょうどいいのかもしれない。
 ごまさんスカイタワーからは多少のアップダウンがあるものの、県境の尾根を結んだ割とフラットな道が続き、いよいよ高野山が近付いたところで苦手なダウンヒルに入った。だが、ダウンヒルをしばらく走っていると、前に車3台の車列が現れ、その流れに身を任せたまま高野側の料金所へと着いた。ここを出れば、すぐそこに高野山金剛峰寺を始めとする寺院群がある。とりあえず交差点近くのパーキングにバイクを止め、休憩しながら後輪のタイヤを見てみると、端の1cm弱ぐらいを残してきちんと使っていた。あんまり攻めてないのに結構倒してたんやなと思いつつ、久々の峠道に満足した。峠道の割にきちんと2車線あって走りやすいから、ライダーが集まってくるのも仕方がないな思っている間も、いくつかのグループがスカイラインへと消えていった。時間が早いうちに来て正解やったね。
 日曜で観光客の多い高野山を少し見て回り、高野街道と呼ばれる国道480号線と370号線で紀ノ川沿いへ出る。日曜なのでさすがに車が多く攻めたりはできないが、車の後ろにへばりつきながらコーナーで切り込むように倒すと、スピードは出なくてもなかなか面白い。流れの遅い山道での楽しみがひとつ増えたな。
 紀ノ川に出る寸前の九度山で、案内板に真田庵の文字を見つけ、緊急停車した。しかし、真田庵へ入る道は車も入れないほど細く、バイクで入ってもUターンするスペースが無さそうなぐらいの雰囲気だったので、県道沿いの僅かなスペースに止めて徒歩で訪れた。
 関ヶ原の合戦で西軍に属し、上田城で徳川秀忠の軍を足止めした真田昌幸、幸村父子が、戦後九度山に幽閉されていたのは有名な話だが、その時の住居がこの場所だったらしい。周囲の地形は、山と川に挟まれて場所で大軍を展開できる土地はなく、地形を利用してのゲリラ的な籠城には向いているかもしれないが、ただそれだけの地形で、それ以上はどうにもできない。それだけ昌幸の武名を江戸幕府は恐れたのだろう。昌幸はここで没しているが、全国を治める幕府にも恐れられたほどの武名があり、しかも幽閉の身とはいえ、家自体は信之が東軍についたことによって存続しており、満足ではなかったにせよ、決して不満を残してこの世を去ったのではなさそうな感じがする。武田家滅亡後、自ら切り取った領地を家康に削られそうになった恨みはあるにせよ、それは武将としての意地の問題で、結局その上州沼田は信之に与えられたわけだから、後々まで腹に抱えるような性質の問題でもなさそうだが、どうだろうか。
 紀ノ川沿いの国道24号線に出て西に進路を取り、橋本、五條経由で奈良に入るルートを取る。橋本市内でガストを発見し、そういえばもう昼飯の時間やなと思いつつ、日曜のファミレスは客が多くて待ち時間があったり、飯が出てくるのも遅いから牛丼あたりがいいんやけどどうしようかと迷っていると、ガストの向こうに吉野家のオレンジの色が見えた。ツーリングに出ると、いつも昼飯は2時ぐらいになることが多いのに、ちょうどの時間に希望の店が現れた。今日はなかなかタイミングが良いらしい。ちょっとテンションが上がって、ギュウ、ギュウと唱えながら吉野家の駐車場に入っていったのは言うまでもない。
 橋本から五條まで国道24号線で行き、そこから国道370号線に入ろうと思いながら進んでいると、頭上の案内に370号線の文字を発見し、ここやと思って咄嗟に右折したが、どうやら感じが違う。紀ノ川を渡って川沿いにバイクを止め、地図で確認してみると、高野方向から24号線に合流してくるほうで、国道24号線から西へ分岐しているのはまだだいぶん先らしい。少し川沿いを走ってから国道24号線に戻ったが、ここからは順調で、五條を過ぎてから予定していた国道370号線へ、そして下市からは国道169号線で北上し、壷阪寺の先にある高取城に無事辿り着いた。
 高取城は三大山城のひとつとして、城フリークの間では有名な城だ。壷阪寺に向かう路線バスが時速20kmで黒い排ガスを撒き散らしながら行く手を塞いだが、強引にパスして観光客の多い寺の付近を通過し、さらに上へと向かう。寺を過ぎると道が細くなり、普段車があまり通らない為に、木陰の多いところではアスファルトの上に苔がうっすらと乗っかっているが、滑ってコケないように細心の注意で運転して、城の直下へ行き着いた。ほぼ城の入口と言えるところまで舗装されていて、城へのアクセスは随分楽だ。
 城には、日曜ということもあってハイカーが7、8組おり、1時半過ぎという時間帯なので、弁当を食べ終わって一服している人たちも数組いたが、その中では自分が一番軽装だった。休憩している人達を横目にぶらぶらと散策してみたが、さすがに山上に広がる石垣群は壮観の一言に尽きる。石垣などのインパクトという点では、木々で視界が開けいていない分、大分の岡城や兵庫の竹田城には劣るが、開けた視界に広がる石垣とはまた違って、うっそうとした木々の間に残っている石垣というのも趣がある。
 高取城を下りたのは午後2時半ごろ。まだ時間的には早いが、最終目的地の郡山城へ向かう。高取町から大和郡山市まで40kmぐらいのはずだが、途中でどれだけ混むか分からない。国道169号線を北へ走って太古の首都飛鳥の辺りを過ぎ、畝傍で国道24号線に戻る。が、24号線に入ってすぐ渋滞にぶつかった。この渋滞が長崎のラッシュ時を思わせるほどに長い。下道で延々10kmぐらい混んでいただろうか。まだバイクだけに何とかなったが、車なら間違いなく発狂していただろう。GWの掛かり始めの日曜ということと、吉野の桜が最後にあたるからこれだけの渋滞になったのだろうか。奈良県民はこんな状態で怒らないのかと、ふと思ってしまった。
 国道24号線の渋滞も、西名阪自動車道を過ぎると車線が4車線に増えてようやく解消され、そこから郡山城までは、外堀公園のあたりで方向が分からなくなったのと、止めるところを探していて1度城を抜けてしまったこと以外は、比較的スイスイと行けた。
 郡山城に現在残っている建物は、復元された櫓が2棟と追手門ぐらいだが、壮麗な高石垣が本丸と二ノ丸の部分で残っており、他にも近鉄沿いにある門跡か櫓跡の石垣が独特な雰囲気を醸し出している。ここも日曜というだけあって、サイクリングで来た人や家族連れが多かったが、天守跡でイチャイチャしているカップルもいた。高校生っぽかったので、城域にある城内高校の学生かもしれないが、その横を平然と散策しながら通り過ぎると、どこかへ退散してしまった。どうやら邪魔をしてしまったらしい。
 郡山城をボチボチと散策して、帰路につこうとしたのは4時40分ぐらいだった。ここから第二阪奈道路の中町I.C.までは5kmあるかないかというぐらいに近い。自宅までガスが持ちそうにないのでガススタを探していると、たまたまI.C.の近くにセルフスタンドがあったので給油し、高速へと入った。しかし奈良も近くなったもんだ。この第二阪奈トンネルさまさまやね。便利で、しかもここみたいに結構交通量があるなら造り甲斐もあるけど、阪神高速の北神戸線みたいに空いてしまってると批判もされるわな。
 トンネルを抜けるともう大阪に入っている。確か阪神高速の東大阪線から神戸線へは楽に入れたはず。予想通り環状線の一部を通るだけで神戸線へと入れた。ここまで渋滞はない。後は生田川のあたりと須磨バリアで混まなければ、夕食に間に合う時間に帰れる。あっという間に大阪を横切り、兵庫に入ったが、生田川でも須磨でも渋滞はない。須磨の料金所でおっちゃんに、さっきまで混んでて今空いたとこやと声を掛けられ、やっぱり今回のツーリングは全体的にタイミングが良かったという事を実感した。
走行距離 328.00km
合計 2日間 523.36km

No.20
No.19 No.21