9/13
 前回の滋賀ブラブラの旅から帰った後、沖縄にツアー旅行に出かけたが、決まりきったコースの上に記念撮影なんかもあって耐えられず、1日はレンタカーを借りて好きに回らしてもらった。やはり旅はハンドメイドが良い。
 今回は、季節の関係で北海道は断念したが、青森までの北日本1周の旅に出ようと思う。日本海沿いに北上し、竜飛崎や大間崎にタッチして太平洋側を南下、行ける所まで行こうと思う。来月には試験があるので、その準備も含めて期限は今月一杯ぐらいか。1日1県として18県。福井から計算すると、北陸と東北、関東と山梨、静岡まで行けることになるが、どこまで行けることやら。
 初日のこの日、いつものように出発は10時過ぎと遅めに出て、舞鶴道を北上する。今日は若狭を回って2週間ぶりに彦根で宿泊の予定。
 舞鶴道を舞鶴東I.C.で下りて国道27号線を東に行き、まず最初は高浜城に辿り着いた。
 高浜城は海際にある城で、背後は断崖絶壁が海に落ち込み、大きくはないが防御力は高そうだ。城跡は公園になっているので、あちこちに作られている平坦な部分は、城が機能していた時代の郭を利用したものがほとんどだろう。そう考えると、城の構造がはっきりとしていて分かりやすい。城跡から続いている岸壁の一角に明鏡洞というものがある。波による侵食によってできた洞穴で、海岸から海が筒を通したように見える。この日は風が強かったので、明鏡洞から押し寄せる波が、いかにも日本海という感じの波で、なかなか迫力があった。
 この風と波に誘われたのか、すぐ近くの海岸には、サーファーが大量発生していた。公園の駐車スペースが彼らの車で満杯になってて、バイクをどこに止めようか迷ったぐらいで、波待ちで海に浮かんでいるサーファーは50人ぐらいいただろうか。真横から見ると、まるで一斉に何かを海に流したようで面白かった。
 高浜は思ったより田舎で、昼飯を食べるところがなかったが、国道沿いに見つけて少し遅い昼食を摂り、再び国道27号線を東へ向かった。1時間ほど走れば小浜に着く。ここにある小浜城は、学生の時にツーリングで1度来ているが、思い出す為にもう1度寄ってみることにした。国道27号線から国道162号線へ入って城へ向かう途中、車道の真ん中を走っていて前に車1台分ちょうどのスペースしかないにもかかわらず、軽バンに強引な追越しをされた。おいおいあんたより排気量はデカイんやでと思いつつ、意外と福井人もせっかちやということがわかった。そういえば嶺南はほとんど関西と同じということを聞いた記憶がある。
 城を懐かしみつつぐるっと散歩し、出発しようとしたその時、軽がするすると過ぎて停車したかと思ったら、降りてきたおばちゃんに声を掛けられた。どうやら昔神戸の学校に通っていたらしく、バイクの神戸ナンバーを見て声を掛けてきたらしい。そんな話から始まって、地震の話、家族の話と流れていったが、おばちゃん特有の話すけど聞かないという特徴があって、しかも息子の自慢話が出だした時には、正直頼むから勘弁してくれと思った。しかし、こちらが話を切って出発しようとしようとするオーラを感じないのか、無視してるのか、途中でメットを被ってバイクに跨ったにもかかわらず一方的に話は続き、結局1時間ぐらい引き止められた。これは間違いなく、今日の決定的なロスになるやろう。それにしても、子離れできん親はなんか哀れやし、子供がかわいそうやね。
 小浜城は江戸時代の城だが、小浜には中世に後瀬山城というのがあった。若狭守護だった武田氏の居城だったところだが、地図上には国道27号線沿いに後瀬山トンネルとの表示がある。小浜城からその方向目指してボチボチと走っていくと、細い民家の中の道を抜け、国道27号線に出る寸前でほとんど迷わずに登山口を見つけた。なかなか登山道は勾配がきつかったが、城跡は石垣も残っていて、なかなか良い感じだった。だが、あまり時間に余裕がなくなってきている。いよいよあの長話が、ボディーブローのように効いているようだ。
 小浜から国道27号線を通らず、北上して三方湖経由で敦賀に向かう。小浜から三方湖へ入る国道162号線は、ところどころ1車線で断崖上を走るが、部分的には綺麗な2車線のトンネルや道路が整備されている。夏はたぶんかなり混むのだろう。そうこうしていると三方湖岸に出て、一息休憩を入れた。荒々しい日本海の様子とはうって変わって、水面がとても静かなのが印象的だ。
 三方湖を後にして敦賀へと入ったが、この時にはすでに日は暮れていた。金ヶ崎城を久しぶりに散策して、隣の天筒山城も散策しようと思っていたが、それも果たせず、敦賀城の正確な位置も結局わからなかった。これらのかわりに、おばちゃんの息子は良くできるということが分かっただけらしい。といっても、その息子の通っている学校は、自分の成績は別として、自分が通っていた学校のレベルよりも下の学校だったが。
 散策が不可能になったので、金ヶ崎城の入口で地図を確認し、国道8号線で彦根へと向かう。学生時代に金ヶ崎城に来た時も、同じような薄暮の時間やったなと思いつつ、空気のひんやりとしている県境の山地を越え、湖岸道路に入って彦根に到着した。ほぼ2週間過ぎただけだが、湖岸には秋の気配が漂って来ていた。
走行距離 300.64km

9/14
 8月に来たときと同じように、この日は平日だったので、友人の出勤に合わせて彦根を出発した。
 昨日福井からは塩津街道と呼ばれる国道8号線で帰ってきたので、今日は北国街道の国道365号線で福井を目指す。天気予報は曇り時々雨で降水確率は高い。今はなんとか曇りで収まっているで、どこまで持つかが今日の行き先を決めるだろう。
 湖岸道路で長浜まで行き、真っすぐ北に行くイメージで右折すると昨日通った国道8号線へと出る。そのまま直進して河毛の辺りで右折し、国道365号線に入ると小谷城がすぐ横にあるので、山に入る手前の駐車場でトイレ休憩を入れた。ここは学生時代のツーリングで来ているし、8月には近くを何回も通った。学生時代はカメラを持って旅に出ていなかったので、トイレの近くにある案内板を写真に収め、ついでに浅井氏の居館と城下があった清水谷を徒歩で散策する。今は全くの田園地帯で、幼稚園があるのが目立つぐらいだが、浅井氏が健在だった頃は江北の中心地だったはず。あれから400年ちょっと経って跡形もないのが、逆に歴史を知っている者にとって特別な感じを抱かせる。何も知らない人にとっては、ただのド田舎なだけだが。
 国道365号線で余呉湖を北へ越えると、交通量は激減して全くの快走路になる。県境の山地帯までは2車線で広く、山に入ると1車線でヘアピンだらけの道になるが、対向車がほとんどないので気分的にかなり楽。結構倒して遊べる。
 福井県に入ったところで、いよいよ雲行きが怪しくなってきた。今にも降りそうな曇天を見上げながら先を急ぐが、昔の街道沿いだけに城も多い。城があると無視していくことができないので行軍は遅々として進まない。
 今庄の燧ヶ城によってから名物らしいそばを食べ、同じくほぼ街道沿いの南条町の杣山城に寄ってから更に北上していると、小丸城まであと数kmというところで、ついに雨が降り出してきた。急いで路肩にバイクを止めてカッパを着込むが、一時的なものではなさそうだ。これから覚悟しなければならない。
 小丸城は近くまで行ったものの、残念ながら雨の為、ろくに散策もできず、そのまま国道8号線に戻って北上を続けた。小丸城のある武生や途中の鯖江にも城があったはずだが、国道に案内がない為、淡々と雨の中を北へ北へと向かう。そして福井市街に入った辺りで雨が小降りになったので、今は県庁などの敷地となっている福井城に寄ってみた。
 この城には、学生時代にも来ているが、あの時は晴れてて暑かった記憶がある。今日は雨が降るやや肌寒い天気で、あの時とは対照的だ。幸い雨は止んだようなので、適当にバイクを止めて少し散策しつつ写真を撮ったが、県庁や県警の建物があって、スーツの人が多い中、自分が場違いな感じで長時間居づらい雰囲気がある。特に警備員の目が気になる。
 福井から足羽川沿いに田舎へ少し外れていくと、越前朝倉氏の一乗谷がある。ここも学生時代に来ているが、あの時はおばちゃんパワーに圧倒された記憶が強い。その押しの強いおばちゃんのお陰で休館日にもかかわらず入館できたものの、常設展示を見れなかった一乗谷朝倉氏遺跡資料館にまず寄って、カッパを乾かしつつ見学した後、バイクで徐行しながら一乗谷の木戸や武家屋敷をさらっと見ていく。6年前は武家屋敷が復元中だったが、あの頃に比べると観光地としてちゃんとしてきたなという感じだ。結構訪れる観光客も多いらしい。
 一乗谷を後にし、そのまま足羽川沿いの国道158号線を東へと進む。雨は止んでいるが、この調子だと今日は大野泊になりそうだ。
 大野市街に入って、時間も差し迫っているので、とりあえず町のシンボルである大野城に登った。越前大野は短冊状の市街地に江戸時代の風を残し、観光都市としても結構有名だが、城に登って一望してみると、市街地が昔の町割りを残していることが分かる。残念ながら晴れていなかったのと夕暮れの時間の影響で、なんとなくぼんやりとした感じの眺望だったが、晴れた日には良い眺めになるんだろう。
 城を出るともう5時前になっていたので、駐車場の電話BOXから宿の手配をする。さすがにこの天気で野宿は嫌やなと思いつつタウンページを見ていたが、たまたまふと見上げた電柱に旅館の宣伝があったので、そのままそこに電話をしてみると、あっさり予約が取れた。今日は雨やったけど、最後は運が良かったねと、ほっと胸をなでおろしたが、すぐ宿に向かい、荷物やカバーを乾かす体制を部屋できっちりと整えて飯を食べに出かけた後、その帰りに夕立に遭って濡れてしまい、結局運が良かったのか悪かったのか微妙な感じになってしまった。まぁ、温泉旅館でサウナとかあって結構良かったのに、素泊まり4500円とリーズナブルだったので、終わり良ければすべて良しということで。
走行距離 170.08km

9/15
 朝起きてテレビで天気予報を確認してみると、今日もどうやらくもりのち雨らしい。秋雨前線が恨めしい。
 午前8時過ぎに宿を出発し、国道157号線で勝山に向かう。勝山には江戸時代に藩があったが、地図上に城のプロットはなく、市街地のはずれに勝山城博物館というものがある。そこに行けば何か分かるだろう。
 勝山市街が近付いてくると、遠目にも見えるやたら大きな城が見えてきた。博物館はどうやらあれらしい。方向と地図を確認しながら国道を右折して駐車場に来てみると、それはそれは巨大な建物だった。しかも、石垣には九頭竜川をイメージしたと思われる龍が彫られている。う〜ん、なんじゃこりゃ。誰がデザインしたかわからんけどイケてない。入口にある碑文を読んでみると、平成7年完成らしい。平成7年ならバブルは過ぎ去っているが、多分計画はバブルの真っ只中ぐらいではなかったのだろうか。でないと、博物館でこんな巨大な物を造ろうとは思わんやろ。維持費だけでもかなりかかるやろし。
 博物館の中は、予想していた通り広く高い。そのせいか、普通の博物館よりも大きな展示物が多かった気がする。この博物館の展示によると、勝山城は市役所や市民会館の用地となってほぼ消滅しているらしい。そのかわりに、中世にあった村岡山城の存在を知る事ができた。
 地図によれば、博物館を出て東へ行くと、白山平泉寺城というのがあるらしい。名前から考えると、昔に勢力を持っていた平泉寺のなかにある寺坊城郭か。とりあえず行ってみることした。途中の道は心地よい2車線のワインディングロードが数km続き、ちょっと楽しい。そんなコーナーのちょっと多めの道を少し上っていくと、平泉寺白山神社の駐車場に到着した。近くの案内板を読んでみると、中世に7千もの僧兵を抱える勢力を持っていた平泉寺は、勃興した一向一揆に敗れて衰退し、明治になって寺号を捨てて神社となったらしい。もとは神仏習合の典型的な例だったようだ。今でも残っている石垣は、すぐにでも城郭に転用できそうな規模があるが、苔むした庵などがあって、争いのあった過去を想像できないぐらい鄙びた風情を醸し出している。だが、白山神社自体には観光客が結構来るようで、この時も団体さんが訪れおり、鄙びた雰囲気はありつつも静かではなかった。
 白山神社からは、巨大な博物館の横を通って再び国道157号線に戻り、勝山城に行こうとも考えたが、遺構がほぼ無いということなので勝山市街を素通りするようにしばらく走る。新たに情報を仕入れた、国道からちょっと入ったところにある村岡小裏手の村岡山城にも行ってみたが、一番下から登ることになる上、かなり雲行きが怪しかったので登城を断念し、今度は国道416号線で九頭竜川を下っていく。国道は途中で対岸へ移るが、直進して県道17号線に入り、6年前に来た丸岡城の近くを横切って、一路東尋坊を目指す。県道を乗り継ぎつつ走りながらふと上を見上げると、明らかに雨を落としそうな黒い雲が近くまで迫って来ている。どうやら雲の流れと行く方向が同じらしく、このままのペースで走っている間はなんとか逃れられそうな雰囲気だ。
 雲と競争すること約15分。何とか東尋坊に着くまで雨には降られなかったが、明らかに風が強くなってきているのがわかる。そして、大急ぎで東尋坊を見て回った頃、予想通り大粒の雨が降り出してきた。とりあえず土産物屋に避難したが、雲行きを見るとすぐには止みそうにない。店のおじさんも1時間ぐらいかかるということを言っていたので、観光地でご飯を食べると高いとは思いつつも雨宿りの時間を無駄にするのもなんやし、さっさと食事を済ませた。しかし、食事が終わっても雨は降りやまず、土産なんかを見てさらに30分ほど時間を潰したがそれでも止まない為、覚悟を決めて出発した。これで2日連続カッパが大活躍だ。
 石川県に入る頃にはあちこち水が染み込んで来ていたが、吉崎温泉に誘われつつもがんばって大聖寺まで走り、大聖寺市街にあった土木事務所の1階が駐車場になっていたので、勝手に雨宿りさせてもらった。そこでもう1度気合を入れなおし、大聖寺城に軽くタッチしてから北上を続けた。国道8号線は学生時代のツーリングで通ったことがあるので、違う道をと県道伝いに走り、小松市の海岸沿いにある安宅関跡に寄ってみた。ここは義経と弁慶の逸話で有名なところで、この時も雨にもかかわらず多くの観光客が訪れていたが、当時の関跡は海中に沈んでいるらしい。わずか800年の間にも、結構大きな地殻変動があるもんやね。
 安宅関跡には資料館があったが、観光客の多さと、乾かしようのない服装の為、入館する事を断念し、小松の市街地に足を向けた。6年前にも小松を訪れているが、その時の記憶はとても曖昧だ。小松城にも寄ったはずだが、どんな感じで、どんな建物が残っていて、どんな石垣があったかなどは綺麗さっぱり覚えていない。ただコメントが少し残っているだけだ。今回は思い出す事も兼ねて小松に寄るつもりだったが、あいにくの雨で思うように散策できないだろう。幸い市街に入ったところで小降りになってきたが、恐ろしい事に街に入っても全く懐かしい感じがしなかった。当の小松城は、今はほとんど残っておらず、三ノ丸が葦城公園として、それとは別に天守台がグラウンド脇にあるだけだが、それらを探し当てるのに結構苦労して、ぐるぐる街中を走る羽目になった。しかし、やっと苦労して公園や城に辿りついても、6年前の記憶は全く蘇らなかった。よっぽど印象に残らなかったのか、それとも天気が正反対のせいなのか。
 小松からは国道8号線に戻り、そのまま北上する。予定では金沢城にも寄る予定だったが、時間は既に5時を過ぎ、雨はほとんど止んだといってもコンディションが悪いので、テンションも上がらない。車も多くなってきたので、金沢はまた今度にして宿を探すかと思い、ローソンで休憩しつつ携帯からインターネットで宿を探して電話してみると、昨日に引き続いて1発OKだった。さすがに雨の日は、宿も断りにくいのだろうか。
 6時過ぎに早めの晩飯を吉牛で済ませ、津幡温泉の勝崎館(旅館のホームページで確認したところ昔は温泉だったが今は違うらしい)に着いたのは7時前ぐらいだった。津幡は小さい町で、駅の案内板には2軒しか宿がなかったが、それでも探し当てるのに少し時間がかかった。
 今日、この町では祭りがあるらしく、獅子舞が街に出ていたので、チェックイン後に宿の人に聞いてみると、10時ごろにこの宿にもやってくるらしい。時間があれば見に行こうかとも思っていたが、雨で冷えた体を風呂で温め、布団へと潜り込んだ時には、もう見に行く気力が残っていなかったのは言うまでもない。
走行距離 168.96km

9/16
 この日は朝から快晴。風が少しあるものの、出発の準備をしていても心が浮き立つ。今日の目標は能登半島1周だが、今日は走りがメインだけに最高の天気だ。
 とりあえず朝一で、昨日駅の案内板で見かけた津幡城に向かう。地図に該当する場所には神社と学校があったが、城跡を示す碑などはなかった。周辺は平坦な地形で、平山城ということを知っていたのでここしか考えられなかったが、無断で小学校に入るわけにも行かないので、近くまで寄って大体の地形だけ確認して引き返した。
 最初からちょっと躓いたような格好だが、すぐ近くのコンビニで豚汁とおにぎりで朝食を済ませ、気を取り直して再びバイクを走らせる。津幡からは七尾街道と呼ばれる国道159号線を北上するが、日曜の朝早くとあってまだまだ車は少なく爽快だ。途中、七尾街道は当然七尾まで行くので、海岸沿いを走る為に国道249号線に入り、白波立つ日本海を横目に、更に北上していく。
 志賀町辺りで、国道はちょっと内陸側に入って遠回り気味になるので、海岸沿いの県道36号線に入った。この道も松林などがあって爽快で、昭和50年代チックな家々の並ぶ風景は能登半島独特の風情だろうか。黒い瓦が多くて印象的だ。
 県道の途中に、巌門鷹巣岩という案内板を見つけたのでふらふらと寄り道した。ここは一応駐車場もあって、日曜ということもあってか車が多く止まっていたが、そのほとんどはとりあえず断崖を見たら出発するという感じで回転がいい。確かに断崖以外には何もなく、それほど長居しても暇なだけという感じで、売店もあまり繁盛してなさそうだ。
 厳門からはひたすら国道249号線で再び北へ北へ向かい、輪島でここを過ぎたら食べるところがないと思ったので昼食を摂った。ここまでは流れもスムーズで風がややあること以外は快調だが、ぼちぼちとツーリングチームの姿が目立つようになってきた。昼食を摂ったレストランにも2チームが来ていたが、あえて声を掛けることもせず、ソロツーリングを決め込んで進んだ。
 珠洲市に入ってから能登半島の北岸を進んで、国道から県道28号線へと入り、海岸を東へ進んでいくと禄剛崎へ着いた。禄剛崎にある駐車場は、バイクの料金も掛かるようだったので、ガラガラの駐車場に止めるのはアホらしく、港側の道路の邪魔にならない場所に止めて灯台を目指した。灯台までは若干の距離があったが、そこから広がる200°以上のパノラマは素晴らしく、あぁ先っぽに来たなぁという実感が湧く。灯台までの歩道は近所の子達が遊んでいて、日曜の午後の港の風景がそこにはあった。こういうのは、なぜかほっとするね。
 県道28号線の禄剛崎の先端には90°のコーナーがあり、ここからは帰路であるというのを主張しているようだ。ここからぐるっと回って珠洲市街に入ると、再び国道249号線に合流するが、ここから海岸を見ながら南下していくと、恋路海岸という場所がある。悲恋物語が伝えられる場所で、海岸すぐそばの、のと鉄道の恋路駅の切符が恋人達には人気があるというのをテレビで見たことがある。ここに来るまで具体的にどこかは知らず、たまたま看板を見つけたのでふと寄ってみたが、悲恋物語の場所だけあってカップルが多く、男ひとりで散策する雰囲気は全くなかった。
 そのまま国道を進んでいくと、穴水という街に着く。ここは戦国時代に長氏の居城穴水城があったところだ。今日初めての城だが、国道には具体的な案内がないので、穴水駅に行くと表示がしてあった。手持ちの地図の縮尺は大きく、穴水ぐらいの街の大きさでは使い物にならないので、駅の地図を覚えてしばらくあちこち行ってみたが、それらしい表示には出会えなかった。城山という交差点があったのでその近くだと思うが、また今度じっくり調べてから来ようか。
 穴水から能登島を左手に見ながら30分ちょっと行くと、能登半島の中心である七尾市街に入るが、その僅かな間に3つほどのツーリングチームに抜かれた。日曜だからバイクが多いのは覚悟していたが、100km/h巡航で追い越し禁止の道でも関係なく抜いていくチームばっかりで、抜かれる車は結構危ないと思っただろう。ついて行こうかとも思ったが、さすがにこれにはついて行くのは気が引けた。
 七尾は戦国時代に能登畠山氏が居したところで、七尾城は五大山城に数えられているほどの規模を持っているらしい。楽しみにしながら国道を走っていると、国道の終点に小丸山という交差点があった。なんとなく目に入っただけだったが、七尾城に向かう途中に市役所の横で停車すると、前田利家の出世城小丸山城という横断幕があった。来年からのNHKの大河ドラマが前田利家夫妻を主人公にするらしいので、観光ムードを盛り上げつつあるようだが、たまたま見つけたのは運が良かった。
 七尾市街から外れて山のほうへ入っていくと、七尾城跡資料館というのがあるらしい。時間も夕方に差し掛かっているので、城より先に回ろうと思って寄ってみると、やたらに車が多い。ただの資料館にしては妙だなと思いつつ入口を見ると、なんと本日休館の文字が。日曜なのにと思ったが、地元の人がたくさん来ている様子を見ると、どうやら日曜だけに祭りがあったらしい。これでは仕方がない。まぁ城は行けるやろうと思ってバイクをターンし、山を登って駐車城に着くと、城跡に重機が入っている。もしやと思いながらバイクを下りて歩いていくと、こちらも祭りの後片付けらしい人達が20人ほどいた。マジですかと思いながらも目立たないところを少し散策したが、中心的な部分は作業に気後れして回ることができなかった。日曜なら閉まってるとこはないという確信があったが、まさかこんな形で行けなくなるとは。滅多に来れない距離だけに残念。
 七尾城に行けなかったので、ちょっと道を戻って小丸山城に寄る。この城を見つけたのは運が良かった。これがなければ今日は全滅になるところだった。小丸山交差点の右にある小山がそれらしいので、交差点の直前にあった空き地みたいなスペースにバイクを止めて散策に出発した。現在城跡は公園として整備されていて、その全ての領域が残っているわけではないが、部分的に堀切や郭を連想させるような形で整備されている。感想としてはまぁそこそこかな。とりあえず何とか1つ回れたのでよしとしようかと独り言を言いながら公園を後にした。
 七尾からは海岸沿いを帰ろうと国道160号線を走る。時間は5時を過ぎ、曇天ということもあってかなり暗くなってきた。魚介の産地として有名な氷見の辺りでどっぷりと暮れたので、国道沿いにあったガストで腹を満たした。飯を食べながら、2日連続で宿を取ったので天気の心配がない今日ぐらいは野宿しようと決意し、とりあえず風呂を探すべくコンビ二の店長に銭湯がないか尋ねてみると、氷見の駅前に最近スーパー銭湯がオープンしたらしい。渡されたコンビニ周辺の地図には城が2つ記されていたので、それに目を奪われながらも駅にたどり着くと、真新しい有磯の湯という銭湯があった。料金は460円で、サウナや打たせ湯、露天などもあり、かなりリーズナブルだった。なかなかいいところを教えてもらった。
 風呂で地図を見ながら、氷見からほど近いところにある二上山の高岡二上山キャンプ場を寝床にしようと決めて出発したが、山道があまりに暗いのと、パトカーが巡回していたのでもしかしたら走り屋さんが出店する道かと思い、直感的に回避して国道8号線を東へと向かった。どうせなら富山市街はこのまま抜けてしまったほうが朝は楽かと思い、神通川沿いに北に進んで市街地を離れ、海沿いの浜黒崎キャンプ場で野宿する事にした。
 キャンプ場に着いて適当なところにバイクを止めて周辺を探ってみたが、バーベキューをしている家族が1組いるものの、日曜の晩とあって管理の人が居る気配がない。まぁどうせ小さいテントを張るだけなので、別にキャンプ場じゃなくて普通の海岸でもいいのだが、トイレとか水道とかを考えるとキャンプ場のほうがちょっと便利だ。このキャンプ場は海岸部分と区切っている様子もないので、ロッジだけ管理してるのだろうか。とりあえずロッジとロッジの間にテントを張ることにし、買ってまだ開けたことがないテントを開け、適当に組むとなんとなく組めた。どうせ寝るだけだからと外側の部分とペグなどはそのまましまい、室内部分を固定もせずに荷物を運びいれ、自分も潜り込んだ。中で今日のルートを地図に書き込み、明日のルートをざっと確認したが、友人に借りた電池式のライトが暗くて作業は捗らず、まださすがに9月ということもあって、風が入ってこないと室内は暑くなるが、思ったよりもずっと快適だった。慣れれば良い空間になりそうだ。
走行距離 370.08km

9/17
 久しぶりの野宿の割には良く眠れたが、海岸を散歩する人の音と、波の音で夜明けぐらいに目が覚めた。もう1度寝てみたが、やっぱり6時ぐらいに目が覚めてしまったので、ごそごそとテントから起き出し、トイレで顔を洗って歯を磨いた。昨日来ていた1組の家族連れは夜中に帰ったようで、姿は見えなかった。そういえば夜中に車の音がしていたのを思い出した。結局キャンプ場は1人だけの貸しきり状態だったわけだ。
 テントをしまってバイクに乗せ、今日のルートを確認して東へと出発する。とりあえず越中といえば謙信も攻めあぐねた松倉城かと思うが、本格的な山城なので登山状態になるのは間違いないだろう。コンビニで腹ごしらえをしていかなければ、行き倒れになってしまう。
 引き続き国道には戻らず県道1号線で東へ進み、途中のコンビニで立ち読みと朝飯を済ませ、そのままなんとなく細い県道やなと思いながら進んでいくと、ついうっかり魚津市街まで出てしまった。行き過ぎたのは間違いないので、すぐに右折して国道に出てから少し戻り、あまり信号で止まらないので地図に目をやる時間がない中、苦労しながらなんとか確認して松倉城へと向かう道に入った。朝の通勤時間帯ながら、のどかな風景が広がっているこの辺りは車も多くなく、快調に小さな集落を超えてそろそろ山に差しかかろうとした時、目の前に工事中通行止めの看板が現れた。どうやらダムに向かう道が工事中のようで、途中から分岐している城への道も煽りを食って行けなくなっているらしい。こんなに天気がいいのに、朝から縁起が悪い。
 仕方がないので来た道を引き返して行くと、途中で集落から松倉城へ行けるもう1本の道を発見した。おう、もう1本あるやんと喜んで上っていくと、森を抜け、下の集落が気持ちよく見える視界の開けた田園を過ぎ、再び険しい木々の中に入ったところで小菅沼城に着いた。この城は松倉城の搦手にあり、そのまま抜けていくと松倉城まで繋がっていたという。現在は民家が建っているが、石垣等は残っていた。また、その石垣のところの説明板によると、途中の視界の開けた田園地帯は武家屋敷があった跡らしい。どうりで不自然な感じがしたはずや。ただの畑を作るのには標高が高すぎるし、しかも平坦な場所が山の途中のくせにやけに多い。
 小菅沼城でひと休みした後、松倉城へと続いているという道を行こうかとも思ったが、これまでがこれだけ険しかったのに、この道の先はどんどん険しくなっていきそうな気がする。舗装も途切れてUターンしなければならなくなりそうだったので、松倉城はまたの機会にということで引き返した。
 山を下り、国道を東へ向かって、地図上に載っている天神山城へ向かった。地図上では魚津歴史民俗博物館と隣接しており、両方ともどうせ行きそうな場所やからちょうどいいわと思っていたら、隣接どころか山の途中に資料館があり、しかも資料館は入口に入場料がかいてあったが、タダで入る事ができてラッキーやった。でも、何を思ったか、民俗よりも歴史の展示物のほうがはるかに興味をそそるのに、歴史の展示があったらしい吉田記念郷土館に行き忘れた。またいつか、松倉城と一緒にリベンジしなければ。
 資料館にたまたま魚津城の場所が、ボタンを押したらランプが光るやつで示されていたので、場所を暗記して資料館の中と天神山城を回り、再び魚津市街へとバイクを向けた。魚津市街でも城があったと思われる付近は道が細くなっていて、寺院も多いなどかつての城下町の雰囲気を残していたが、特に石碑などの城を示すものは、30分以上もウロウロしていたにもかかわらず、見つけることができなかった。
 魚津を後にして、国道8号線を東へと進む。野宿の次の日は、朝早く起きるので活動時間が長いのはいつものことだが、この日もすでに午前中にして結構回ったなという充実感が出てきていた。実際には通行止めだったり見つけられなかったりして何もしてないけど。
 朝日町には、地図上では宮崎城と不動堂城の2つの城が地図にはプロットしてあった。当然この2つの城を攻めるべく、まずは近くの不動堂城跡とプロットしてある場所へ向かったが、何気に目標地点に着くと、そこには不動堂遺跡の文字が。ん、間違えたかと思い、再びバイクを走らせて周辺を探ってみたが、周辺の位置関係からしても場所は合っている。さては城跡と遺跡をミスプリしやがったなと思ったが、まぁせっかくなので遺跡に寄ってみた。遺跡内はとても整備されていて、芝生が敷き詰められて気持ちよく、隣接して集合施設があるなどなかなか良かったが、遺跡にそれほど人が多く来るとは思えず、経営は苦しいんかなという要らぬ心配をしてしまった。
 今日まともに行けたのは天神山城と歴史民俗資料館だけで、あとの3つは予定と違った行動となっている。もう昼前だ。先を急がねばならない。不動堂遺跡から国道8号線へと戻り、そのまま東へ行くと、江戸時代に関所があった場所の近くに宮崎城がある。地図によると、トンネル出口すぐのところから登山道が出ているので気をつけなければならない。そう思っていたにもかかわらず、トンネルを出るとあっと言う間に通過してしまった。幸い後続車も対向車もなかったのですぐUターンし、木々の茂る登山道を登っていった。
 宮崎城から見える壮大な眺めを満喫した後は、再び国道8号線に戻って東を目指して走るが、もうこの辺りは県境に近く、集落はない。少し進むと、県境を越えて市振や親不知といった海が迫る断崖上に道は続くが、コーナーが多く、大型トラックなども多いのでペースが上がらない。とりあえず親不知で昼飯を済ませ、ふと海のほうを見ると、気候も富山側とは異なるようで、こちらは曇り空が広がっている。このままではちょっと埒があかないなと思い、この旅ではできるだけ高速を使わないつもりだったが、親不知から北陸道で上越までひとっ走りした。100km/h以上の巡航スピードでサクッと行ったのだが、高速を下りてから後輪のタイヤを見てみると、明らかに高速に入る前よりも減っている。ちょっとやばいかなというぐらいで旅に出たが、スリップサインがほとんど出ている状態で、これは完全に交換時期になっている。しかし、高速走行はタイヤが加熱するせいか減りが早い。新しい時にはあまり分からなかったが、スリップサインが絡んでくると非常に分かりやすい。だが、ツーリング中にタイヤ交換という出費も嫌なので、このタイヤで帰るまでの行程は頑張らないといけない。これからは高速はやめておこう。
 上越で北陸道を下り、ちょっと国道18号線を南下して高田城に向かう。高田城は城の堀などがよく形を残しており、典型的な江戸時代初期の城だが、東国の城にありがちな土塁でできた城で、優雅な雰囲気を残している。城には天守閣がなく、シンボルとして三重の櫓が復元されているが、こういう施設がほとんどそうであるように、この日は月曜の休館日で入れなかった。だが、高田城は土塁や堀が良く残っている分、周囲を散策するだけで雰囲気を味わうことができる。敷地の中には博物館もあったが、どうせここも休館やろうとチラっと覗いてみると、こちらは休館日ではなく改装中で休館しているらしい。どのみちアカンという訳や。
 高田城を後にして、北西方向へ上杉謙信が居城とした春日山城へと向かった。中腹にある駐車場まで行き、城へは徒歩で登ることになるが、その前に上杉謙信が祀られている春日山神社にお参りをしておみくじを引いてみると、久しぶりに大吉が出た。今まで護国神社なんかで引いた時は大吉が多かったが、最近はあまりお見かけしていない。なんかいいことがあるかも。
 春日山城は、上杉謙信が有名だったこともあって観光客も多く、その為、山城の割にはすごく整備されていて散策しやすい。直江屋敷の方から登り、毘沙門堂などの主郭部分を回って下りてきたが、土塁や郭がはっきりと残っていて当時の威容が感じられる。さすが五大山城のひとつに数えられるだけのことはある。
 駐車場で謙信の旗印だった「毘」という一字が入ったステッカーをお土産に買い、麓に降りて今度は惣構えのあたりまで足を延ばしてみた。この辺りは城下町を囲んでいた監物堀というのが残っていて、その端には監物城という出城があり、別名東城砦とも呼ばれている。惣構えの内側は芝生が敷かれた広場になっており、監物城には番所が復元されていたが、なぜか男子高校生が15人ほど屯っていた。なんか集まりがあったのかと思ったが、なんか統一感のない集まりで、1クラスの男子がまとめて放置されたような感じだった。その中を横切って散策したが、特にイベントがあったわけでもないらしい。よくわからない。
 春日山城は今日の最大の目標だったので、あとは時間の許す限り国道8号線を北上するだけだ。新潟県は細長く、地図上で見た限りではざっと400kmもある。
 柏崎市に入ったところで宿の手配をしようと携帯から探してみたが、いい感じの宿が見つからない。服も4セットしかないので、今日洗濯しないと明日からはお古になってしまうし、何よりも2日連続の野宿だけは避けたい。そう考えていると長岡のビジネスホテルが目に留まった。ビジネスホテルなら確実に洗濯できるし、予約も取りやすい。仕事でよく泊まっていただけに変に身近に感じてしまうのもあって、宿代は少々高くつくがホテルを予約した。あとはひたすら進むだけだ。
 柏崎には枇杷島城というのがあり、国道8号線からも近かったので、夕暮れ迫る中柏崎農業高校の近くを散策し、それから長岡へと向かった。ホテルの前ににバイクを止めてチェックインし、荷物を置いてバイクを駐車場に運ぼうとすると、なんと鳥糞が微かに被弾していた。上を見ると電線があって鳥がたくさんとまっている。ほんの10分ぐらいの間に集まってきたらしい。幸いかすったような感じだったのでティッシュでサッとふき取り、急いで駐車場へと向かった。
 駐車場から徒歩で帰ってくるときに、ぶらぶらと晩飯がてら市街地を回ってみたが、駅前の案内板にも長岡城の字はなかった。江戸時代には藩があったはずだが、完全に市街化しているらしい。
 ホテルに帰ってきて風呂に入ったが、やはりホテルの風呂は狭くてイマイチなのでサッサとあがり、ノーパンに浴衣の状態で、上のフロアにあるランドリーで洗濯した。これで明日から4日間の衣類は確保できた。しかし、洗濯物を部屋に持って帰ると、当然のことながら干すところが少ない。仕方がないので、ありとあらゆる広げられるところに洗濯物を広げ、洗濯物に埋もれるようにこの日は眠った。
走行距離 264.16km

9/18
 この日、朝早めに起きて洗濯物を片し、朝のラッシュに巻き込まれないように早めにホテルをチェックアウトした。
 途中のコンビニで女子高生に混じって朝飯を買い、そのままバイク脇に座って食事を済ませ、与板町へと向かった。与板は直江氏の居城があったところで、新潟県に来たならここは外せない。町内の案内板を見ると、与板城本与板城というのが隣接してあるようだ。どちらがあの有名な直江兼続の城かわからないが、とりあえず両方回ってみた。兼続の城は与板城のほうだったが、どちらも標高は同じぐらいで、多分城下もほぼ同じ場所だったのではないのだろうか。そうなると城を移す意味はあったのだろうか。
 与板からは国道116号線で北へ向かうが、ちょこちょこと工事をやっていて流れが良くない。少し行っては少し泊まりという繰り返しだ。その工事区間が終わると新潟バイパスに合流し、今度は逆に交通量が多いのに100km/h弱の流れになった。やはり都市部は走りにくい。
 そうこうしていると昼の時間になったので、バイパスのすぐ横にあった破綻したてでホットな話題を提供しているSATYに寄り、マクドで昼を済ませた。ついでに、もう関東の地図の端まで来ているので東北地方の地図を買い、国道7号線になった新潟バイパスで東を目指した。新潟の東には新発田がある。ここにも上杉謙信の重臣で、後に謀叛を起こした新発田氏の城があり、押さえておきたい城だ。
 国道7号線から外れて新発田の市街地に入っていくと、かつての城下町らしく、やや狭い道が縦横に走っていて、町割りされたという感じが強い。新発田城は維新後に陸軍に接収され、今も自衛隊が使っているので櫓門と隅櫓しか残っていないが、記帳すると中に入れるのでありがたい。この堀の近くで案内板を見ていると、おじいさんに話しかけられた。おじいさんは昔写真家だったらしく、ちょっと前に同じように案内板を見ていた数人の団体さんにも声を掛けていたが、どうやら話すのが好きらしい。少々年配の人特有のくどさはあったが、小浜の時のような自慢話ではなかったし、いろいろと歴史に関することも聞けたので、時間はちょっと取られたが興味を持って聞くことができた。
 新発田市街から再び国道7号線に戻って、次の目的地村上へ向かって北へと走り出す。この村上はもともと本荘と言い、上杉氏の家臣であった本庄氏の拠点だった。新潟には新発田もそうだが、他にも中条や柿崎といった上杉氏の家臣では有名どころの名前が残っていて、国道を淡々と走っていても地名を見つける度に嬉しくなる。
 で、そのもともと本荘と言われていた村上は、大名として入部した村上氏からついた名前で、最初は村上氏が大改修した城の名前だけだったらしいが、やがて地名にも村上がつけられるようになったらしい。その村上城に寄ろうとして適当に探しながら走っていると、だいぶ離れた村上駅に出てしまった。そこでしっかり城の位置を確かめて引き返した後は、素直に着くことができた。
 城は工事中の部分もあったが、数年後には麓も含めて綺麗に復元されるようだ。城の登り口に小さな資料館らしきものがあったが、開館時間が恐ろしく短い資料館で、入る事ができなかった。たぶん今まで寄ってきた中で、1番営業時間の短い資料館だと思われる。
 村上から一瞬海岸沿いの国道345号線に入ろうかとも思ったが、ちょっと時間が掛かりそうだったので、再び国道7号線に戻って北上を続ける。この国道は羽州浜街道と言われているように、いよいよ越後の新潟を出て出羽の下半分の山形に入っていく。それにしても新潟は結構果てしなかった。街と街の間が結構あったから、比較的淡々と距離を稼いだつもりだったが、なかなか侮れない。丸1日以上かかった。
 とりあえず、山形県に入ったところにある念珠関跡に寄ろうかと思って走っていると、ぼーっとしてたのか発見するのが遅れてしまい、気付いたらにもうすぐ横だった。あっと思った瞬間には周りの景色と一緒に後ろへ流れて行ってしまったので、まぁしゃあないかと先を急いだ。海岸沿いを1時間ほど北上していくと、いよいよ庄内平野の鶴岡市街に入ってくる。時間も差し迫ってきているし、東日本に行くにつれて当然日の入りの時間が早くなってきているせいもあって、日が早くも落ちかけている。さすがにこれだけ東に移動してくれば、体感できるぐらいの時間のズレがあるのだが、それはともかく、はやいとこ行くところは行っておきたい。
 鶴岡市街に入ると、夕方のラッシュの時間帯に差し掛かってきているのか、思ったよりも交通量が多い。日がだいぶん暮れてきているので、鶴ヶ岡城に直行したが、それでも見学できたのはぎりぎりで、写真は撮ったがたぶんほとんど写っていないだろう。城内の神社のところで、兎が放し飼いで飼われていたので、ちょっと面白かったから写真には収めたが、それも兎の目が光ってるだけかもしれん。しかし、放し飼いで逃げへんもんかな。
 鶴ヶ岡城を出て、宿の手配をする頃にはすっかり日も暮れて、パラパラと雨が降り出していた。おいおいやばいんちゃうんと思いながら、携帯で宿を見ていると、現代旅籠という気になるフレーズがあったので予約を取ってみた。鶴岡ホテルという名前だったが、場所が良く分からないのですぐ前の交番で場所を聞き、一方通行の道にあったので結構遠回りしてようやく着いた。そこはホテルとは名前についているが、まさに旅籠と言えるぐらいの年季の入った建物で、昔祖父母の代にうちも旅館をやっていて、小さい頃は旅館だった建物に住んでいたのだが、その頃のうちの建物と瓜二つなぐらい古かった。なんだか幼い頃にタイムスリップしたような感覚で面白かったが、朝食のみで6000円はちょっと高かったかも。
走行距離 234.72km

〜中編へ続く〜
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