8/23
 会社を退職した後のバタバタも落ち着き、次に予定のある9月までぶらりと旅に出ることにした。行き先は滋賀彦根。中学校の同窓生が居るからだが、前々から会社辞めたら行くで行くでと予防線を張っていたので、前々日に急に行くでと言っても、「あっそうなん」的な反応で全然大丈夫だった。
 割と近いので気の緩みがあるのか、昼過ぎに家を出発した。彦根に行く時だけではないが、いつもながらのスロースタートだ。でも休みに限りがないので、焦りは全く感じない。いいことなのか悪いことなのか。
 彦根へのルートは、阪神高速北神戸線から中国道を通って名神高速に入る。いつもなら彦根か長浜まで高速で飛ばして行くのだが、今回は時間もたっぷりあるので、大津で下りて下道を行くことにした。
 大津の混み合う市街地を東に抜けると、湖岸沿いに膳所城跡が見えてくる。膳所城は江戸時代の築城で、戦国時代は京都と大津の間に宇佐山城があり、後には坂本から機能を移した大津城があった。関ヶ原の前哨戦で、京極高次が西軍を相手に籠城したが、その戦闘による荒廃の為か、他の戦略的なものによるものか、ほど近いこの地に城地が移された。城跡を見る限り、大津城と同じように水城と呼ばれる造りで、部分的に残る石垣からは、直接船が出入りできたような跡が見受けられる。
 城跡の公園は木々が多く、木陰と湖から吹き込んでくる涼しい風が気持ちいい。そのせいか、仕事の合間に休憩したり昼寝したりしている人がたくさんいた。ここで休憩している気持ちはすごく分かるが、気になったのはちょっとドブ臭い事。昔ほど琵琶湖は汚れていないはずやけど、今でも生活廃水の影響があるのだろうか。
 膳所城を出て湖岸を南下し、瀬田の唐橋を渡った対岸には瀬田城跡がある。前回来た時、走りながら案内板がチラッと見えたのが気になってしょうがなかったので、ここは今回ぜひ押さえておきたいポイントのひとつだ。
 城跡は今、臨湖庵という名の料亭の敷地となっていて、料亭の勝手口に申し訳程度に案内板と城址碑があるだけで、城らしい遺構は見当たらないが、戦国時代末期には、瀬田橋と瀬田川を押さえる要衝の地として築城され、重要視されていたことがわかる。今でも渋滞がよく発生するライダー泣かせのポイントということは、地理的な重要性は昔も今も変わっていないということか。臨湖庵という名は、江戸時代に瀬田城跡に僧侶が建てた庵の名で、湖に臨む庵という瀬田をそのまま表したようなネーミングセンスには、素直に感心した。
 瀬田から湖岸を北上して晩夏の心地よい夕暮れの中、湖岸道路を彦根へと向かう。琵琶湖大橋を過ぎると交通量も減り始め、信号もだんだんと無くなってきて、とても快適に走れるようになる。途中、休憩がてら友人に連絡を取ると、今日は7時ぐらいに帰宅するとの事なので、途中にある能登川大水車に寄る事にした。この水車のある公園は、カヌーなどの体験試乗などもできるところで、これを見ると久々にカヌーに乗りたい気分になった。能登川までなら名神で行けば3時間程で行けるので、またカヌーに乗りにぶらっと来てもいいかなと思う。
 能登川の公園でぶらぶらしていたが、そんなに時間が潰せるわけないので、再び湖岸道路に出て更に北東へ向かう。途中で湖岸道路よりも更に湖側を走る道路を通ったりしてのんびりと走り、琵琶湖越しに滋賀と京都の県境に沈んでいく夕日を写真に収め、友人宅へ到着したのは午後7時半前だった。友人も帰ってきたばかりだったらしく、だらだらと過ごした後に夕食へと出掛けた。友人の車は、去年に来たときには軽だったが、秋にレガシーに乗り換えていたので、夕食後は店を出た勢いのままドライブへと出発した。さすがに心地よい加速感を感じさせてくれたが、これはこれでネズミ捕りとガス代が心配になる車だ。友人は仕事が忙しいので、まだ遠出したことがないらしく、忙しいから金はあるけど暇がないという典型的な症例で、ちょっと可哀相になる。
走行距離 197.44km

8/24
 昨日に引き続いてこの日も晴れた。夏はライダーにとって、止まるととても暑いのが難点だが、晴れが多いのは非常に助かる。
 朝、友人の出勤時間に合わせて出発し、湖岸道路を北へ向かう。今日の目的は琵琶湖一周だ。前々からしたいとは思っていたけど、近くて日帰りでも行けるにもかかわらず、今日まで延ばし延ばしになっていた。
 まず最初に立ち寄ったのは、湖岸道路のすぐ近くにある山本山城。この城は、信長による小谷城攻めで重要な役割を演じた城で、その小谷城からほど近く、支城として機能していた。今では集落にある朝日小学校の裏山にあたり、神社や寺もあることから、子供達には遊び場として、大人達には集落の鎮守として生活の中に溶け込んでいるんだう。登山道もそこそこ丁寧に整えられてあって、ちょっとしたハイクが気持ち良かったが、麓から山頂の城跡まで登ってしまうと琵琶湖一周ができなくなりそうだったので、またの機会ということに。
 山本山城を出て、今度は直線の多い市道を東へ走っていく。滋賀はこんな直線的な道が多く、視界も平地が多くて開けているので、心地よく走れるし、おまけに琵琶湖や水田が多いから、水面を撫ぜた風は湿気を含んで夏の暑さを和らげてくれる。
 そんな心地良さのまましばらく走り、国道8号線を少し南に下ると、今度は小谷城攻略の際に、信長が陣を置いた虎御前山陣所跡に到着した。この虎御前山にはキャンプ場もあり、最近整備されたような遊歩道がついていた。遊歩道沿いには、それぞれの武将が陣取った所に休憩所が設けられ、それぞれの武将の説明版がある。当時の信長にとって重要な戦いであったことがわかるように、有名どころの武将が陣所には名を連ねており、あまり歴史に詳しくない人でも結構楽しめそうな感じで、夏でも木陰が多いのか、涼しく感じる。地元の連れとキャンプに来ても面白いかなとも思ったが、大阪を越えてはちょっと辛いかも。
 虎御前山に登る時間がなかったのでキャンプ場から引き返して虎姫町からまっすぐ西進し、再び湖岸道路に入って北上を再開する。左手が湖から川のような感じに変わると、道路も北端の国道303号線にたどり着く。更に琵琶湖沿いを走るなら西に曲がるのだが、国道を東に折れ、北陸道の木之本I.C.出口の交差点から北上すると、すぐに余呉湖へと出る。余呉湖は琵琶湖と同じ構造湖で、言わば琵琶湖の兄弟だが、外周が4kmほどなので、琵琶湖に比べるとおとなしい姿をしていて、田舎くさいというか垢抜けない感じだ。この湖には天女伝説があり、北岸には天女が羽衣を掛けたといわれる大木があるが、ここで休暇してボーっとしていると、稲刈り間近の頭を垂れた黄金色の稲穂と、湖と山の深い緑が絶妙のコントラストになっていた。滋賀でも南のほうはまだまだ夏だが、この北端ではすでに秋の気配が漂っている。
 余呉湖周辺はある程度リゾート化されていて、キャンプ場やちょっと離れてスキー場なんかもあるが、とりあえず外周を一周してみようと思って走ってみると、奥に進むと道が細くなっていくので、もしかして行き止まりになるんちゃうんかと思ったほどだった。車の1.5台分の幅で、バイクなら楽勝だが、ちょっと運転に自信の無い人が車でやってこようもんなら、パニックになるのは間違いないだろう。
 そんな細い道をしばらく行くと、湖の一番奥まったところに宿泊施設があった。ホテルとまでは言いがたい感じの建物だったが、この建物の前は道も広く、少し整備されてるなという印象だったが、そこを過ぎて湖の反対側を帰ろうとすると、今度は舗装工事中の文字が。おいおいマジかいと思ったが、ここまで来たら一周せいでかという気持ちで突入し、徐行でタイヤが滑らないように気を使いながら、カウルに石が跳ねて当たる嫌な音を聞きながら走ること5分、無事に何事も無く通過できた。
 余呉湖からは来た道を返し、今度は国道303号線を西進する。6年前に来た賤ヶ岳の下のトンネルを抜け、小腹も空いたので、飯浦交差点付近のドライブインで昼飯を食べることにした。このドライブインの前からは、竹生島へ渡る船が出ているが、値段が意外と高い。一度行ってみたいとは思っているが、ひとりではなんか味気ないので、また誰かと来た時にしようと思いつつ、せっかくだからと近江牛のランチを注文した。まぁドライブインの飯やからと期待してなかったが、予想外に美味しかったので、なんだか得した気分になった。しかも値段はランチなので、1000円ちょっととなかなかリーズナブル。もしかして滋賀って物価安いんかと思ってしまう。
 小腹も落ち着いたところで、再び湖岸沿いに走り出す。湖岸といっても、この奥琵琶湖の辺りは山が湖に落ち込んでいるので、水際を走ることもあればアップダウンの激しい山道のような部分もある。この道自体は県道で無料だが、この道を奥琵琶湖パークウェイと言うらしく、部分部分視界が開けるところがあって眺めも良い。途中にはつづら尾展望台のような大きめの休憩施設もあってドライブに来る人も多い感じだが、峠のようなアップダウンやタイトなコーナは、夜には走り屋さんのメッカとなるようで、夜の通行は禁止されている。その走り屋さん対策なのか、タイトなコーナーにはほとんどオレンジの凸凹がつけてあり、車体を倒すとすっ飛びそうで攻めることができないどころか、普通に走っていても危ない感じがする。これはこれでいかがなものか。
 浜のほとんどない湖岸を、バス釣りをしている多くの人を見ながら過ぎると、今度は湖西の風景になってくる。湖東と比べて平地が少なく、山から緩やかに湖に落ち込んでいく地形は、ここ以外ではあまり見た記憶がない。
 何年か前にカヌーの試乗会で来たマキノ町を過ぎ、風車街道と名の付いている県道54号線を通って、安曇川沿いに西へ朽木谷を目指す。途中には、台風による土砂崩れで一部通行止めになっているとの表示があったが、このルートは大丈夫そうだ。交通量の少ない緩やかな上りをしばらく行くとやがて山が見え、その山を一つ越えるともうそこは朽木村だ。
 朽木村にはちょっと縁があって、初めて会社の新人同士で来た場所で思い出深い。そうそうこんな道やったなと思いながら道の駅に着くと、店は閉じられていた。前に嫌がらせのようにローソンが建っていたので、もしかしたらローソンとの競争に負けたのかもしれない。道の駅の案内板で郷土資料館を発見し、とりあえず村の歴史を知るには手っ取り早いので、資料館へと向かった。
 資料館は朽木の陣屋があった場所に建っており、中世には朽木氏の居城で、室町将軍や信長とも所縁のある朽木谷城があった。入場は記名するだけで入れ、人のよさそうなおじいさんがひとりで留守番をしていたが、閉館の準備か、何かごそごそとしていたので、何も告げずに2階の展示場へと上がっていろいろ見ていると、2階へ上がってきたおじいさんが気付いて、あわてて資料を持って来てくれた。見た目にたがわずいい人らしい。ただ、その資料は作成途中のようで、続きがある感じだったが、その続きができてもここにはなかなか来れないので、少し残念。
 京都に近いせいか、割と古くから史料に名前が残っている朽木だが、今は鄙びた山間の村という感じで、少し時代に乗れていないところが良い雰囲気を醸し出している。琵琶湖へと繋がるもう1本の道が、土砂崩れの通行止めのせいで通れず、帰りは来た道を引き返したのだが、その途中に道端に座ってお経を唱えている何人かのおばちゃんを見かけて、未だに古い風習がきちんと伝えられているんやと感じながら村を後にした。
 再び湖西に出ると夕日が沈みかけている時間だったが、前にカヌーで来たときに見かけて気になっていた場所へは寄ろうと決めていた。その場所は大溝城と湖上に浮かぶ鳥居の神社だ。神社は白髭神社といい、垂仁天皇の頃に創建され、近江最古の神社という。鳥居が沖にあるということは、古代には沖合いまで、広く考えれば琵琶湖全部が境内だったと思われ、当然琵琶湖の神を祀っていたのだろう。今では国道161号線で分断されて、境内は狭い感じがするのが残念だ。
 もう一つの大溝城は、JR高島駅から歩いてすぐのところにあるが、城跡は天守台を残すのみで、三ノ丸跡にある公共施設のところに、僅かに案内板が建っているのみだった。当時の町割りや枡形が、道路から僅かに読み取れるが、遺構らしい遺構は残っていなかった。琵琶湖から城内までを繋いでいたであろう乙女ヶ池で、水鳥の様子をボーっと眺めていたら陽が落ちた。大津まで回ると、渋滞が激しいからどれくらいかかるか分からない。今日のところは琵琶湖大橋でショートカットして、琵琶湖の北湖の部分だけで帰ろう。閉園間近のびわ湖タワーを見ながら。
走行距離 270.56km

8/25
 滋賀ツーリング3日目のこの日、働いている友人は5日間の疲れで爆睡し、それにつられて2日間の疲れが出た自分も爆睡して、起きたのは昼をかなり過ぎていた。
 二人でだらだらと、ご飯も食べずに漫才なんかを見て過ごし、昼晩兼用の飯を午後5時ごろに食べに行った。その足で久しぶりにビリヤードをしたが、途中まで勝っていたのに最後の30分で負けた。友人とは最近このパターンが多い。しかも彦根で勝った記憶がない。
 家に帰ってからは、ゲームでこれまただらだらと過ごし、ある意味明日への英気を養った。

8/26
 この日も朝はゆっくり目に起き、友人は予定があるというのでそれに合わせて10時半頃に出発した。
 この日の目的地は長浜と彦根。去年来たときに行けなかった場所や、見つからなかった所を集中的に行く。とりあえず最初に、前回来たときは休館日だった国友鉄砲の里資料館へ向かう。場所は1回来ているので迷わずに行ける筈だ。
 国友は秀吉や家康も重視した鉄砲の産地で、江戸時代の泰平の世の中になってからは、鉄砲の需要が衰えたので、金彫細工や花火などの火薬産業が発達した。それらの基本となったのは当然火縄銃の技術で、この資料館でも火縄銃から花火まで、いろんな蓄積された技術が展示されている。特に感動したのは火縄銃が実際に持てたこと。銃のマニアっぽい人が、黄色火薬がどうのこうのと話をしていたが、そんな知識よりも自分にとっては持てた事が初めてだったので、これが一番良かった。帰り際、フロントで近江戦国の道という本が売ってあったので、思わず買ってしまった。資料館に行くとどうもこんな類の本を買ってしまう。
 国友を出た後は、ほど近い姉川古戦場へリベンジに向かった。去年来たときは古戦場碑を見つけられなかったが、地図に記されている場所から、今回はもう少し姉川を上流に遡ることにした。幸い姉川の土手は車道がついているので、どんどんと1kmほど調子よく進んでいったが、それらしい物は見つけられなかった。何でや、おかしいと何回も言いつつ、国友鉄砲の里資料館の場所が地図では少しずれていた事を思い出し、地図のプロッティングが間違ってれば、どないやっても見当違いな場所やなと考え、小腹も空いてきたのでリベンジを諦めることにした。こうして、敢え無く2回目も撃沈されたのだった。
 昼飯を軽くファミレスで済ませ、第3のリベンジへと向かった先は、長浜鉄道文化館。前回訪れた時には、受付がいないなと思いながら旧長浜駅舎の1階を見ていると、もう閉館時間との事で追い出された。今回は閉館時間まで軽く3時間はあるので、追い出されることはないだろう。まあ、当たり前やけど。
 前は時間が無かったので慌てていたが、改めてじっくり見てみると、昔の長浜駅舎というのはとてもモダンな外観をしている。他にも、駅舎の前に並べられた北陸トンネル開通の碑文や、トンネル入口に掲げられていた字句を見ると、当時の日本における鉄道の地位がいかに高く、どれだけ力を入れられていたかが痛いほどわかる。飛行機もなく、船も今ほど大型化していない時代、鉄道が植民地での重要な権益であったように、国内でも物流の要であったと同時に、日本にも立派な鉄道があるという、西欧と対等の立場を主張する為に、こんなモダンな駅舎が出現したんだろう。今の自信を無くしている日本人には、こんな気概は無いかもしれない。
 旧長浜駅舎の裏に鉄道文化館があるが、その内部には鉄道の歴史と共に模型が走っている。日曜ということもあってお子ちゃまが大量発生していたが、小さい頃は車よりも電車が好きだったので、走っている模型を見ているとどうも嬉しくなってしまう。その頃の記憶を埃の中から手繰ってみると、当時集めていたNゲージ(軌道幅が9ミリなのでNine-gageからきてるらしい)と呼ばれる模型よりは1サイズ大きいHOゲージと呼ばれる模型のようだ。新幹線から在来線まで揃っていて、建物の高いところを一周している。たぶん子供にはウキウキのはずだ。
 鉄道文化館の前には、慶雲館という建物がある。ここも、前に来た時にちょっと覗いただけだが、今回はじっくりと見学することができた。明治天皇行幸の際に建てられただけあって、広い敷地には庭園や茶室があり、この日も茶会が開かれていて、優美な雰囲気を醸し出していた。
 時間も天気も差し迫ってきたので、長浜を後にして彦根に戻り、前回は雨で断念した佐和山城へと向かった。
 昔から国道8号線を通るたびに、佐和山トンネルというのが気になってしょうがなかったが、今回も長浜から湖岸道路を通り、米原で国道8号線に入って、佐和山トンネルを出たところでバイクを止めた。
 バイクを止めた場所はなんだか怪しい廃墟で、散策してみると、地元の石田三成の会が建てたものらしい。今では廃墟となっているが、一応城もあり、宝物館らしいものまである。この後背の山に城があるのかと思ったが、国道の向かいにあった案内板を読んでみると、案内板から西の後背にある山がそうらしい。入口は草が繁茂していたが、蚊の攻撃を受けつつも山を登っていった。途中千貫井という井戸があった他は、遺構らしい遺構は残っていなかったが、大きく拡張された郭の跡は充分に確認することができた。
 佐和山城の本丸にいた時、曇天でなんとか持ちこたえていた天気がついに雨になった。山を下りる時は木のおかげで濡れず、下りた時には霧雨のような感じで、さほど濡れた感じはなかったが、いつまた降り出すか分からないので、友人宅へ向かった。しかし、夕方ぐらいには帰ってるやろという言葉を残して友人は出て行ったにもかかわらず、彼の家にレガシーの姿は無かった。
 ボーっとしていても仕方が無いので、彦根城に向かうことにした。彦根城は国宝だけにゆっくりと見たかったが、もう4時も過ぎていてあまりゆっくりしてられそうにない。内堀のところにバイクを置いて、玄宮園と彦根城の共通券を買い、まず玄宮園に入った。玄宮園は、全国の大藩には必ずあった藩主による庭園のひとつで、近江八景を凝縮したつくりになっている。しかし時間が遅い為か、観光客は自分を除いて1組しかいなかった。
 玄宮園を出て今度は彦根城へと向かうが、入口では券売の受付の人が撤収を始めていた。天守閣に入れないかもしれんという危機感を抱きつつ、なかなか急な石段を登って天守閣に滑り込んだ。平山城とはいえ、さすがに息が切れる。
 彦根城の天守は、地元の姫路城なんかと比べるとこじんまりしたものだが、それでも彦根市内は一望できる。この天守閣は大津城の天守閣を移築したもので、天守閣だけではなく、天秤櫓は長浜城、三重櫓は小谷城のものを移築している。これら大小の櫓と、江戸初期の野面積みや打ち込みハギの石垣の組み合わせが、全体としてとてもバランスの良さを感じさせる。さすが国宝だけある。
 彦根城内で日が暮れるまで散策した後、すぐ近くの友人宅へもう一度向かったが、やっぱりレガシーはなかった。小腹も空いたし、8号線沿いに店屋がたくさんあったから、その辺でご飯を食べて、中部の地図も買ったりしてたら、友人が帰ってくる時間ぐらいになるやろと、夕暮れの中、混み合う国道へと走った。
 結局友人が帰ったのは7時半頃。自分も8時にようやく帰途についた。
走行距離 74.40km

8/27
 週が明けて月曜日。日曜とは違い、観光客が少ないのでブラブラしやすいが、資料館の類は休館日が多いので注意が必要だ。
 今日は、彦根から滋賀南部へと足を延ばす。まず名神高速彦根I.C.の脇を過ぎて多賀大社へと向かう。出発は友人の出勤時刻に合わせているので、多賀大社に着いたのは、途中コンビニで朝飯を食べたのにもかかわらず、まだ9時過ぎだった。
 当然月曜日で朝早い時間帯なので、観光客は自分と親子連れ1組のみ。境内はガランとしている。門のところにある太鼓橋を越え、広い境内に入ると、大社と名の付くだけの規模があることを実感できる雰囲気を持っている。昔はお多賀さん参りが盛況で、彦根まで参道が続き、一の鳥居は彦根市内にあったらしい。それから比べると寂れたということになるんやろけど、それでも観光名所としての地位は高い。ただおみくじ200円はちょっといただけない。神社に寄れば、必ずおみくじを引く人間にとっては納得いかない。
 多賀大社から更に南へ国道307号線を進む。この道は所々アップダウンや緩やかなコーナーがあり、走ってると面白いのだが、交通量が多めで流れが遅い。その流れに任せるままに走っていると、地図で見つけた鯰江城の付近になったので、国道沿いにあった案内板で場所を確認し、国道を折れた。
 鯰江城は、信長の上洛の際に六角方に加担して落城したらしいが、大きくもない城で、後世に有名となった城でもないので、探すのに苦労するかと思ったら、案外あっという間に見つかった。ただ、城址碑はあるが遺構は見当たらず、写真を撮っただけで国道へと引き返した。
 国道に戻ってそのまま南にひた走り、日野からちょっと外れて、地図で見つけた蒲生氏所縁の音羽城を散策した。その後、その城跡の横の県道182号線で山を突き抜け、更に県道41号線で甲賀に入ろうとしたが、これがまたえらい道路やった。2桁の県道のくせに、3桁の182号線よりも狭くてセンターラインがなく、幅3mぐらいしかないのには、今までそんな県道をたくさん見てきたので驚かなかったが、少し前の台風の影響で土砂が大量に染み出し、浮砂天国になっているのにはちょっと驚いた。対向車が来てちょっとブレーキ強めにかけたらこけるんちゃうかと思いながら、約15分に渡って格闘した末、なんとか垂水斎王頓宮跡まで無事に抜けることができた。
 更に南下して甲賀に入ったのは昼ごろ。甲賀流忍術屋敷を見るつもりだったので、着くまで道沿いを物色しながら走ったが、飯屋はなかった。忍術屋敷の近くには案内があって、すぐ近くの建物でご飯が食べれそうだったので行ってみると、今度は定休日だった。
 仕方がないので、空腹感を感じながらも忍術屋敷によると、係員による案内があるらしく、それまでお茶を飲みながら待っていた。茶腹も一時やなと感じながら待っていると、係員による案内が始まった。それによると、この建物は江戸時代に建てられたそうだから、泰平の世の中だったはずだが、昔からの伝統を引き継いで、屋敷には昔の知恵と工夫の数々が施されている。ある意味ローテクの塊と言えるが、それだけにちょっとした発想の転換や考え方がダイレクトに感じられて良い。昔も今も特殊工作員というのは、身の危険が常に近くにあった事をひしひしと感じる。
 忍術屋敷で空腹感を飛び越えたので、とりあえず次の目標である信楽までに何か見つけたらいいかと先を急ぐ。しかし、甲賀から信楽までの間の道は、走るのにはうってつけの気持ちのよい道だったが、当然そんな道に店屋はない。あるのは信楽焼の狸、狸、また狸。目指す陶芸の森は資料館などもあるので、ちょこっと食べるところもあるやろうと思い、紫香楽宮跡に寄ってから行ってみると、なんと月曜は定休日だった。空腹すぎて低血糖になりそうだ。
 信楽で他に食べるところも無さそうだったので、来た道を戻って水口を目指す。まだ2時だというのに、最終目的地に向かっているなんて、今までなかったような気がする。もう空腹感は感じないまでになっていたが、何か入れとかんとやばいなということで、2時半頃に道沿いの小さな蕎麦屋で飯を詰め込み、小さい町ながら意外に渋滞と一方通行の多い水口市街を抜け、水口城へとたどり着いたのは3時を過ぎていた。城の堀際にバイクを止め、城に向かった時に目にしたのは、信楽でも見た休館日の文字だった。やっぱり月曜は侮れんなと思いながら、今から帰るにしても早すぎるし、かといって近くに寄りたいところもないしとベンチに寝転がって地図を見ていると、いつの間にか夢の世界に落ちていた。やっぱり疲れが溜まっているらしい。バイクに1日乗るのも、なかなか体力が要る。
 水口城の前で、国友で買った本に水口岡山城の情報が載ってあったのを思い出し、うろ覚えの情報と地図を照らし合わせながら再びバイクを走らせる。一度野洲川沿いの道に出てから、大体の感覚でそれらしい山に進んでいくと、公園になっている山の入口に城址碑を発見した。城探しも熟練度が上がってきてるようで、目星を付けた所に城がある確率が良くなってきているようだ。バイクで山をほぼ一周する道の坂を上って行きながらひとり感心していると、山の中腹で行き止まりとなった。ここからはバイクを置いて徒歩で登らなければならない。
 この山はお椀型の形をしているらしく、結構登山道は急なのだが、城跡まで来てみると、そこにはかなり広い平坦地が広がっていた。着いた場所は一番端の郭だったようで、そこから更に数段上に連なっている。郭の間には堀切や土塁が明確に残っていて、それらを繋ぐ遊歩道には藤棚や休憩所が設置されていて、なかなか手が入っている様子。中でも特に気に入ったのは、郭の間の落差を利用したすべり台で、なかなか距離がある代物だ。たぶん小学校低学年ぐらいの遠足スポットではないだろうか。せっかくなので山を下りるついでに、人がいないことを確認してから滑ってみた。これがなかなか楽しい。遊具を侮るなかれ。
 水口岡山城から、公園に入った方向と逆に出て北上すると、そこは日野水口道路に繋がっている。日野水口道路を北上し、行きに通った国道307号線で夕日の中、彦根に向かって帰還した。
走行距離 163.68km

〜後編へ続く〜
No.17
(前編)
No.16 No.17
(後)