水攻築堤跡
所在地  岡山県岡山市
JR備中高松駅東200m
最終訪問日  2005/6/16
僅かに残る蛙ヶ鼻の築堤 羽柴秀吉が織田家の中国方面軍司令官として毛利氏と対峙し、備中高松城を水攻めした時に築いた堤跡。
 築堤跡は備中高松城周辺に何ヶ所かあるが、訪れたのは、秀吉が水攻めの際に本陣を置いた蛙ヶ鼻から繋がる部分で、全体では堤の東端に当たる。
 備中高松城の跡地には民家の土蔵を改造したと思われる資料館があるが、そこには昭和60年に起こった洪水の様子が写真として残っている。それを見ると、水攻めの築堤はその頃には無くなっていたはずだが、城跡を残して一帯がきれいに水没し、城跡の西南方向を通っている旧街道筋の国道180号線より向こう側は沈んでいない。つまり、もともと城跡部分が多少隆起しているが、全体としてはすり鉢状の地形なのである。このことから、最近の研究では築堤は最も低い東南の300mほどの部分が資料にある巨大なもので、それ以外はもともと城に比べて高地であり、それほど大きい堤は築かれなかったというのが主な見方になっているらしい。
備中高松城水攻めの両軍の布陣 蛙ヶ鼻に残っている築堤は、発掘調査から当時の文献に記された高さ3丈、堤の上幅4丈、下幅10丈という大きさがほぼ間違いないものと確認されているが、長年の風化や農業で土砂が切り出されてしまった為なのか、残念ながら高さ4〜5m、上幅3〜4m、下幅10m程度の大きさしか残っておらず、巨大な土木工事を想像するには少し物足りない。
 前述したように、水攻めした際の堤は他にも数ヶ所が残っているが、連続したものではなく、何とか部分部分が残っているに過ぎない。この蛙ヶ鼻の築堤跡も他と同じように10mほどの長さしかないが、周辺はきれいに公園として整備されており、備中高松城や最上稲荷がすぐ近くにあるので、これらとともに散策して回るのも面白いだろう。