垂水城 所在地 鹿児島県市垂水市
区分
最終訪問日 2001/11/6
 垂水城が最初に史料に見えるのは平安時代で、宇佐八幡宮の留守職として九州に下向した藤原教清は宇佐で子舜清をもうけ、その舜清が宇佐から垂水に入部して築いたとある。舜清は同じく八幡宮の社人であった執印行賢の娘を娶った縁で、後に行賢から蒲生と吉田を譲られて蒲生に移り、蒲生氏の祖となった。
 室町時代から戦国時代にかけては、島津氏から領地を与えられた伊地知氏が本城を中心に垂水一帯を領していたが、後に肝付氏らと共に島津氏に対抗し、島津義久に討伐された。討伐後、伊地知氏は垂水本城のみを安堵され、垂水城には川田義朗や、貴久の弟忠将の子で義久の従兄弟にあたる以久が入部した。
 関ヶ原の合戦で島津豊久は義弘を護って討死するが、豊久の領していた佐土原が天領を経て島津家に返還され、以久が入部することになった。そして垂水城は、以久の嫡男彰久がすでに世にいなかったので嫡孫の久信が継ぎ、垂水島津家になったという。城自体は、久信がやがて林城を築いて移った為、この時か、一国一城令で垂水城は廃城になったと思われる。ちなみに、垂水には本城や高城、猿ヶ城、下水城など、城の字のつく地名が多く、江戸時代には前述の林城が一帯を統治する治所であったが、これは垂水城と呼ばれる城とは別である。
 訪れた時は、国道220号線沿いを中心に城の案内を探したが、垂水城のほか、本城や高城など城と関連する地名の辺りにも案内板の類は発見できなかった。
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