箱田城 所在地 群馬県渋川市
JR八木原駅東2kmたちばなの郷城山付近
区分 平山城
最終訪問日 2014/5/10
箱田城説明板 白井長尾氏の本拠である白井城の出城。
 築城廃城年代は不明だが、伝承では木曾義仲の郎党であった今井、高梨、小野沢氏の末裔である箱田地衆の居館であったという。また、現地案内板には、戦国時代に白井城の出城として、同じく箱田地衆が築いたとある。白井城が白井景仲の時代に築かれたとされることから、箱田城もその年代である永享10年(1438)から翌年にかけて鎌倉公方足利持氏と上杉憲実が対立した永享の乱、もしくは持氏の子成氏と上杉一族が対立し享徳3年(1455)から30年近くに渡って争った享徳の乱の頃に、築城されたのかもしれない。廃城は、恐らく白井城に入った徳川家臣本多広孝・康重父子が白井城を近世城として改修した頃だろう。
ちょっとした庭のようになっている武者溜と本丸土塁 城は、長径140m、短径75mの北西から南東方向に長い楕円形の単郭という非常にシンプルな構造で、周囲を土塁で囲い、その外側の5mほど下がった場所に空堀を穿ち、空堀の外側に更に土塁を築いて城外と区画していた。また、大手側の土塁には櫓台があるほか、搦手側には本丸から一段下がった武者溜が設けられており、構造的に戦国時代末期頃の比較的新しい時代まで城が使われていたことが解る。地勢的には、利根川との標高差は割とあるのだが、東側の台地上からは10m強程度しか比高が無く、急峻な地形でもない為、防御力はあまり期待できないだろう。ただ、この東側には中屋敷という地名が残っており、武家屋敷などがあって城と一体化していた可能性がある。それでも、眼下の水運や街道筋を監視する性格の強い城と思われ、敵方先遣部隊とひと当たりするのが精一杯だったのではないだろうか。
僅かに窪んだ空堀跡と帯郭 城跡は、現在は温泉施設と温泉旅館が建っており、頂上部の温泉旅館は模擬城郭風の外観をしていた。この温泉旅館のエントランス付近に案内板が建っているが、敷地内にはご利用者以外駐車禁止の標識がかなり多く建っているので、車などを麓に置いて徒歩で散策した方が、色々と煩わしくなくて良いだろう。敷地内には、櫓台、武者屯、搦手、堀、帯郭といった城の構造施設を示す案内板が建っており、高さの判り難い櫓台やほとんど埋まった堀など、不明瞭ながらも確認することができた。また、ほとんど埋まった堀と帯郭は、現在は両方合わせて中腹をぐるりと廻る道になっているようだ。しかし、立入禁止となっている部分も多く、あまりじっくりと散策はできない城だった。
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