有智山寺跡
所在地  福岡県太宰府市
西鉄太宰府駅北東3km
最終訪問日  2001/10/30
 有智山寺は竈門山寺や大山寺とも呼ばれ、大宰府の鬼門を鎮める為に建立された竈門神社と密接な繋がりがあり、神社を守護する神宮寺としての役割があった。
 平安時代、遣唐使の一員だった最澄や空海が、入唐する前に筑紫に滞在した際、竈門神社に参詣したといわれ、更に最澄は航海の安全を祈願して薬師如来を筑紫国7ヶ寺に奉納したという。その内のひとつが有智山寺であったというから、この頃にはすでに存在していたということになり、もちろん竈門神社だけではなく有智山寺にも立ち寄ったことだろう。
 後には山岳信仰が発展して山伏や修験者が起居し、その堂塔寺坊が370余もあったといい、これらは室町時代や戦国時代の戦乱で一時荒廃したが、江戸時代にはやや復興し、明治の神仏分離と廃仏毀釈の頃まで続いた。
 宝満山一帯に数多くの寺坊跡があることから解るように、寺は強大な勢力を持っていたといわれ、太宰府の太宰少弐を世襲して官名を名字にした少弐氏の本城、有智山城にも隣接しており、少弐氏と連携して武力を誇示したという。ただ、そのような政治勢力化、武力勢力化が、結果としては政治武力介入を嫌う権力層に忌避される原因となり、一時的な衰亡を招いたのだろう。
 宝満山の中腹、九重平付近に現在でも残っている多くの石垣は、規模も大きく壮観である。そこから有智山城跡へと整然と並んだ段が続いており、当時はこれに寺坊が建っていたことを考えると、その勢力の大きさが窺える。
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